なぜ“シンギュラリティ以降”を、いま議論しても意味がないのか?
もし仮に、2045年前後にシンギュラリティが訪れるとすれば、もうすでに残り30年を切っていますから、今を生きるわれわれ世代が最後の現生人類となる可能性があります。シンギュラリティに至るまでもテクノロジーの進化により寿命は延び続けるでしょうし、シンギュラリティに到達した瞬間から“生命をも超越”するからです。もしそうならば、我々は今、自身が生命を超越する可能性があるというレベルの話をしている中で、満員電車に揺られながら会社に通い、老後の貯蓄の心配をしながら必死に残業をすることは意味がないことです。
しかし、人間という時間軸から見れば、シンギュラリティは進化のスピードが垂直になり我々がこのままの生命体であるかどうかもが一瞬のうちに変わってしまうポイントですから、そこで何が起きるかというのは我々が脳みそを使ってどんなに頑張って想像しても、その範囲を大きく超越します。どんなぶっ飛んだSFの世界を思い描いても、最先端のスーパーコンピューターを使っても到底予測はできないでしょう。