見立てとは“イタコ”になること
入山:各務さん、大変面白い話をありがとうございました。ところで、先ほど(前編)の話を聞く限り、各務さんはIDEOをディスっているわけですか(笑)?
各務:ディスってないです(笑)。「PDCAの最初のPの作り方」をなぜ誰も説明しないのだろうかと。それだけです。最初のPを創造するところに価値があることはIDEOさんも当然わかっているはずなのに、そこを紐とかないですよね。言語化しづらいだけかもしれませんが。
入山:なるほど…。確かにその辺りが、IDEOの上手なところなのかもしれませんね。ところで、各務さんのおっしゃる「見立て」や「こじつけ」という話は、僕のなかでは、主体と客体が一体化する「恐山のイタコ」のようなイメージなのですが、合っていますか? 例えば数学者と絵描きがいたとして、数学者が絵描き視点になって、まるで自分が絵描きになったかのように一体化することで、何か見えてくるみたいな。
各務:そうですね。話がつながるというか、翻訳できるというか。絵描きが「こう言うエピソードがあってさ」と言ったときに数学者の中で何かがひらめく可能性があるということです。例えば椎名林檎とイチローのようなトップスター同士の対談をみていると、ものすごく上空で通じ合っている場面がありますよね。あの感覚です。でもIDEOさんはイタコのなり方を説明せずに、イタコになったあとの段階からフレームワーク化していますよね。
入山:IDEOといえば様々な分野のデザイナーが集まってブレストをすることで有名ですけど、実際には、病院のベッドのデザインをしている人がおもちゃのデザインをしている人の視点に乗り移って見立てるから、独創的なアイデアがでてきているのかもしれない、と言うことですね。
各務:ただ、基本的にグループワークからアイデアは生まれないと思っています。例えば10人で企画会議をしたところで最後のアイデアを思いつくのってひとりですよね。ウリポはみんなでアイデアを持ち寄りますが、出すものをだしたらあとは個人作業。一切議論をしない。「あ、これ小説に見えるな。俺の中では」というだけ。