本書では、ルネサンス期イタリアの政治思想家マキャベリが説いた封建社会でのサバイバル思考を現代企業に当てはめ、キャリアアップに役立てる方法を提案。時に非道な手段も顧みない封建国家の専制君主の統治手法は、国家同士が覇権を争い、内部抗争も当たり前だった当時の状況に「適応」するためのものだった。その適応力が「マキャベリ的知性」であり、それは現代企業の競争的環境においても必要とされるものである、というのが著者らの主張だ。その上で、通常は「良き行為」とみなされる六つを挙げ、それらがいかにキャリアアップを妨げるかを説明している。著者のマーク・パウエル氏は経営コンサルタントで、A.T.カーニーのパートナー、オックスフォード大学サイードビジネスクールのアソシエイト・フェロー。ジョナサン・ギフォード氏はビジネス書を多数手がけるライター。両者はThe Human Energy Organisationの共同設立者でもある。
企業経営は従業員のためではなく、企業自体の生存のために行われる
ルネサンス期イタリアの政治思想家ニッコロ・マキャベリは、代表作『君主論』で知られる。同書では、当時の封建国家における「君主」とはどうあるべきか、君主として権力を維持するにはどのような力量が必要かなどが論じられている。
マキャベリは同書で、当時の専制君主たちがしばしば人を欺き、悪辣で無慈悲、残忍な振る舞いをしていたことを肯定している。それは、混迷きわめる時代において国家が生き残り、繁栄していくのに必須だったからだという。
マキャベリは、人間は「恩知らずで気まぐれ、不実で臆病、そして強欲」な存在であるとの前提に立つ。その上で、君主は臣や民から愛されるよりも、恐れられるほうが安心であると主張している。なぜなら、君主を慕い、忠誠を誓う者は、その見返りがないと判断すれば反逆に転じる。一方、君主を恐れる者は反逆すれば自分に害が及ぶと考えるため、安易に行動に出るのは避けるからだ。
マキャベリは、君主の残酷で非道な行為も、それが封建国家の利益になるのであれば免責されうる、とまで論じている。すなわち、国家同士が覇権を争う抜き差しならない状況に「適応」するためには、手段を選ばずともよしとする政治哲学である。そのような適応能力のことを「マキャベリ的知性」と呼ぶことがある。
私たちは「マキャベリ的知性」は、現代企業のマネジメントにも有効ではないかと考えている。ルネサンス期イタリアの封建社会と、厳しい競争環境にある現代のビジネス社会の親和性が高いからだ。
現代の企業の多くは、権力争いや出世競争、そしてそれらに伴う裏切りや欺瞞に満ちた場所であると考えた方がいい。企業側の一方的な判断によるリストラや出向など、従業員を非人間的に扱うケースも当たり前のように見られる。
多くの企業は、家族や相互扶助を前提とする共同体とは本質的に異なる。「法人」としての企業は、一人の人間と同様に、自らの生存維持を第一に考える。そのため、利益を生まず、企業としての生命維持に貢献しない従業員を無慈悲に解雇することを躊躇しない。企業経営はすべて「企業のため」に行われるのであって、(建前はどうであれ)従業員のために行われるのではない。つまり、従業員がいくら企業に心からの忠誠を誓っても、企業側がその見返りを与えてくれる保証はどこにもないのだ。
企業で成功する、あるいは生き残っていくには、たゆまず愚直に努力するだけでは足りない。環境や状況と自らの目標とのバランスを取りながら、自分の振る舞いを変えていく「適応力」が求められる。現代の企業で必要な「適応力」が「マキャベリ的知性」に他ならない。
現代の企業のCEOや経営陣が、専制君主のように非道な行為をしたり、人々から恐れられるような存在にならなければならない、ということではない。大事なのは、自分たちがマキャベリ的知性が必要な環境にいるのを“知っておく”ことだ。そうした前提に立たずに、何も考えず単に「良き行為」とされていることだけをするようでは、成功できない。
私たちは、「マキャベリ的知性」に反し、成功を阻む六つの「良き行為(とされていること)」をリストアップしてみた。「ひたすら一生懸命働く」「使い勝手のいい存在になる」「思いやりをもって人と接する」「人に任せず自分だけでする」「人と違うことをして個性を発揮する」「粘り強く最後までやり遂げる」