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ITバブルを経験したからこそ、IPOより大事なものを知っている、福岡・天神で働くアンダス社長

アンダス社長 前田 哲郎氏インタビュー

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メタルバンドとして上京、パチスロの日々からITバブルへ

 高校の時からヘヴィメタルのバンドをやっていて、デビューを夢見て、仲間と一緒に上京したんですね。東京で2年ほど活動しましたが、仲間も離脱していってデビューの夢は絶えて、上石神井の駅前のパチスロに通う日々が続きました(笑)。その頃、見つけたアルバイトがテレホンアポインターだったんです。そのアルバイトではかなりがんばって、2週間でアルバイトの長であるトレーナーを任されました。それからいろいろ紆余曲折あったのですが何故か(笑)、札幌支店長として入社することになりました。

 その会社は光通信です。現在の社長が当時のマネージャーで、僕がサブマネージャー。一緒に携帯を扱う移動体通信事業部を立ち上げました。その後もOA機器の部署では全国の支店を立ち上げるため、部下数名を連れていって、責任者を置いて立ち上げたらまた次の場所へ移る。そうやって年に4回くらい転勤していましたね。ごりごりのトップダウンの営業会社。僕自身も竹刀持って営業部を見ていました。

 この間に結婚して娘も生まれたのですが、120%仕事人間でしたし単身赴任だったので、家族に会うのは盆と正月とゴールデンウィークだけ。店頭公開を経て、99年9月に一部上場したのですが、自分の中でパラダイムシフトが始まっていてその月に辞めました。

 個人的に会社の持ち株をずっとやっていましたから、IPOの経験は大きかった。2000年2月がピークだったんですけど、50円額面の株が24万円でしたので、当時僕が持っていた株の時価総額でいうと数億円にもなりました。売り抜けたのはわずかですが(笑)。その後も2年間ぐらい別の会社にいって、そこでもIPOのレールにのって、「ニの部」(上場審査時の提出資料)を出すところまでいってITバブルがはじけました。その後も離婚も含め、いろいろあって、地元の福岡に戻った時の口座残高は数万円でしたけど。

アンダス株式会社 代表取締役社長 前田 哲郎
1971年熊本生まれ福岡育ち。大手通信会社で約10年テレマーケティング事業に従事。その後WEB制作会社を経て2004年にダイレクトレスポンスに特化したWEBマーケティングカンパニー、アンダス(株)を設立。コンサルティングをベースにWEB広告(運用型広告トレーディングデスク含む)・クリエイティブ制作・システム開発をワンストップで提供。また創業当初からディーエムネットワーク代表の伊澤正行氏より単品通販を学び、アクイジションのみならずリテンション領域もフォローしている。 2012年にはクリエイティブセンター福岡を設立し、プランナーを中心とした人材育成事業も手がける。

福岡への帰省、そして起業へ

 たまたま光通信にいた時の仲間がWebの制作会社をやっていて、ずっと誘ってもらっていたのと、自分の中で一度すべてをリセットしたいという気持ちがあって福岡に戻ることを決めました。

 業務はホームページの制作です。新規で作るかリニューアルするかしかないので、お客様からは、納品した時に、感謝はされるんですが、2、3ヵ月したらで電話がきて、「ちょっと前田くん、アクセスがないんだよね」とか「問い合わせがないんだよね」と言われるんですね。
 やっぱり、ホームページの制作だけではお客様の求めるものに応えられないと考えて、いろいろやりだしたんです。2002、3年の頃っていうのは、ウェブマーケティングという言葉自体がまだまだ知られていなかった。SEOという言葉もやっと出てきた時期でしたので、Yahoo!のディレクトリ登録を代行したり、懸賞サイトでQUOカードのような景品でリストを集めて、そこに対してメール配信をして見込み客を作るような方法で勝手に動いて、媒体を開拓をしていったんです。しかし制作しかやらないという社長と方針が合わなくなっていった。

 で、どうしようかなって考えた時に、会社をつくるしかないと考えました。それまでは社長になりたいとか、起業したいという気持ちは全くなかったんですが。
 僕は営業しかできませんから、デザインもプログラムもできない。その時の会社の仲間に声をかけたら、全員やるって言ってくれたんです。そしてその仲間と一緒にやめて、会社を設立することにした。アンダスの設立メンバーの9人は1人を除いて、その時一緒に辞めたメンバーです。後はお金の話の部分だけだったんですけど、そこはなんとか僕が知り合いから調達をして、自己資金プラス借り入れでですね、何とか1000万用意して設立にこぎつけたのが、2004年の6月でした。

 その時の僕以外の8人の仲間の存在が大きかったですね。それまでITバブルまでの会社の経験から、トップダウン体質の会社というものに疑問をもっていましたから。その反動で、本当にメンバーと達成感や喜怒哀楽を共有できる会社をつくりたいと思った。そのためにどんなマネジメントが必要かも、ずいぶん考えました。

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Webマーケティングで顧客に貢献すること

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