オードリー・タンが語る、プルラリティ思想の原点
「プルラリティ(多元性)」の理念のもと、民主主義の可能性を拡張するオードリー・タン氏。その思想の根底には、幼少期の過酷な経験と深い自己理解がある。
対話はタン氏の原体験から始まった。厳しい環境と重い心臓病により安らぎの場がなく、生き延びる過程で「8歳にして心は80歳だった」と語るほど精神的に早熟した。
感情の起伏が命に関わるため、気功や呼吸法で感情制御を身につけた。子ども本来の「全力で感じる自由」を手放した経験は、人生に深い影響を残す。封印された感情を安全に取り戻せる唯一の空間が睡眠中の「夢」であり、今も毎晩8時間の睡眠を欠かさない。
夢の中では、未来を「予行演習」することもあるという。今回の対話も夢でリハーサルしたと語る。ホストのセイラ・ユン氏が、タン氏の発言をAIに学習させて質問を準備したことを明かすと、タン氏は微笑んだ。
「私は夢の中で、セイラさんは目覚めたまま、同じように『練習』をしていたのです」
感情を全力で感じる自由を手放してわかった、「未完成のまま出す勇気」
「人生で初めて本当に理解されたと感じた瞬間」を問われ、タン氏は4歳の記憶を語った。医師から「手術まで生き延びられる確率は50%」と告げられ、言葉にならない不安が初めて形を持った。「50%」という数字は、自らの存在を確率として受け入れる契機となった。
この経験から、タン氏は「人が本当に理解し合うために必要なのは『脆さ』だ」と語る。医師の示した確率は、彼女の脆さを可視化した。デジタル社会では他者の脆さが見えにくく、無意識に傷つけがちであり、「他者の脆さへの感受性」がより重要になると強調した。
逆に「はじめて信頼が壊れた瞬間」を問われると、幼少時の診断の経験を挙げた。
4歳で「生存確率50%」と告げられ死と向き合った時、両親が生まれる前から病気を知っていたと知り、「苦しむ未来を知りながら自分を産んだ」事実を、当時は「裏切り」として受け止めた。
この傷を癒したのが「記録する」行為だった。学びや気づきを残す習慣は、媒体が変わっても続いた。タン氏はこれを「Publish before I perish(朽ちる前に公開せよ)」と呼び、毎晩眠る前に思考を書き出す。
「もし朝、目を覚まさなくても、自分の思考は記録され、誰かに受け継がれる。AIが読み込み、別のかたちで生き続けるかもしれない」
タン氏にとって記録と共有は、癒しのプロセスであり、限られた命を意味ある時間へ変える術だ。さらに「記録は未完成のまま公開する」と語る。毎晩のメモも完璧に仕上げない。途中の状態でも公開し、他者との対話に価値を見いだす。
「完成したものを出すと、『素晴らしいですね』で終わる。でも、半分のまま出せば、『ここは違う』『こうしてみては』という反応が返ってくる。そのやり取りで、より完成に近づいていく」
「未完成のまま出す勇気」が、新たな信頼と協働を育む。この哲学は、組織変革にも通じる。
