「おいしい減塩」を実現するキリンホールディングス(以下キリン)の画期的なデバイス「エレキソルト」。本記事では、一人の研究者キリンの佐藤愛氏が社内起業家として立ち上がり、いかにして事業化の壁(死の谷)を乗り越えたのか、そのプロジェクトデザインの軌跡に迫ります。
世界を驚かせた「エレキソルト」とゼロイチの原動力
出村光世氏(以下、出村):皆さんこんにちは。今回のゲストは、世界最大のテクノロジー見本市「CES」(2025年1月7日~10日開催)でも異彩を放ち、世界中から大注目を浴びていたキリンの社内起業家、佐藤愛さんです! 佐藤さん、よろしくお願いします。
佐藤愛氏(以下、佐藤):よろしくお願いします! CESの現場は予想以上の大反響で、私たちも疲労困憊になるほど熱気がすごかったですね。
キリンホールディングス株式会社
キリングループは、酒類・飲料・医薬・ヘルスサイエンスの各領域で事業を展開。「食と健康」の新たな価値創造を通じて、社会課題の解決と持続的な成長を目指している。ヘルスサイエンス領域では、長年培ってきた研究開発力や技術を活かし、人々の健康に貢献する商品・サービスの開発、新規事業の創出に取り組んでいる。
佐藤愛
キリンホールディングス株式会社 ヘルスサイエンス経営企画部 新事業開拓室。東京大学大学院農学生命科学研究科修了。減塩サポート食器「エレキソルト」の事業責任者として、電気味覚技術を活用した新たな食体験の社会実装を推進。研究成果の商品化から事業戦略の策定、マーケティング、販路開拓、外部パートナーとの協業まで幅広く携わり、「おいしい食事」と「健康」の両立を目指した新規事業の成長に取り組む。
出村氏:本当にすごかった! 改めて説明すると、佐藤さんが手掛けられている「エレキソルト」は、減塩食などの薄味な食事の味わいを、微弱な電流を使って増強する食器型のデバイスなんですよね。
佐藤氏:はい。塩味や旨味といった味わいの成分は「イオン」という電気的な性質を持っています。独自開発した電流波形を流すことで、これらの成分を舌の方へ引き寄せ、塩分を増やさずに味を強く感じさせる仕組みです。
出村氏:CESで市販のスープを3倍に薄めたものをエレキソルトスプーンで飲んだとき、本当に味が濃くなって「魔法か!?」と感動しました。この画期的なプロジェクトは、どういうきっかけで始まったんですか?
佐藤氏:原点は2018年頃です。業務時間の10%を自主的な探索研究に使える社内ルールを活用してスタートしました。当時、大学病院の先生から「減塩治療の継続の難しさ」を聞き、自分でも減塩生活を試してみたんです。そうしたら3ヵ月で食欲が落ちて5kgも痩せてしまい、家族からストップがかかって継続を断念しました。「これは我慢だけでは続けられない、技術で解決しなければ」と痛感しました。
出村氏:かなりストイックですね。自ら試して3ヵ月で挫折を味わうという実体験(一次情報)があったからこそ、強い熱量が生まれたわけですね。
佐藤氏:はい。ちょうど同じ頃、趣味で参加していたVR(バーチャルリアリティ)の学会で、明治大学の宮下芳明教授が研究されていた「微弱電流で味覚を制御する技術」に出会いました。「この技術と減塩課題を掛け合わせれば、社会課題を解決できる!」と直感し、すぐに宮下先生の研究室へ飛んでいき、共同研究を提案したのがすべての始まりです。
出村氏:素晴らしい動きですね。でも、ここまで10%の範囲内なのですよね?
佐藤氏:はい。しばらく宮下先生と2、3年くらいは10%でやらせていただいて、本業とのバランスを取るのは難しかったです。2020年くらいに社内のビジネスコンテストに応募して最終審査を通ってから、ようやく50%くらいに増えて予算も獲得しながら進めることになりました。
クリエイティブ集団Konel 代表/プロジェクトデザイナー、知財図鑑 CEO/知財ハンター。アクセンチュアに所属時にクリエイター集団Konelを創業。日本・ニューヨーク・ミラノを主な拠点とし、デザイン・研究開発・アートの領域を横断するプロジェクトを推進。知財データベース「知財図鑑」を立ち上げ、AIを活用した未来事業創造プログラム「idea Landscape」を展開。分野を超えた未来実装を続けている。著書『妄想と具現 未来事業を導くオープンイノベーション術DUAL-CAST』(日経BP)。2025年、「Forbes JAPAN CULTURE-PRENEURS 30」に選出。
社内の壁を突破する「キリンビジネスチャレンジ」とプロダクトデザイン
出村氏:研究室の中の「アンダーグラウンドな研究」から、大企業の本業・新規事業へと昇華させていくプロセスには、大きなハードルがあったんじゃないですか?
佐藤氏:そうですね。当初は「なぜキリンが電気機器(デバイス)を作るのか?」という意見もありました。そこで、キリンの社内ビジネスコンテスト「キリンビジネスチャレンジ」に応募したんです。単に技術のすごさを伝えるのではなく、「キリンはこれまでもお酒や飲料で楽しい食卓を支えてきた。エレキソルトも形は違えど、おいしい食卓を実現する手段なんだ」と社会的意義とビジネスプランを提示し、正式なプロジェクトとして承認を得ました。
出村氏:「楽しい食卓をつくる」というキリンのコアバリューに引き直して説明したのが素晴らしいですね。試作品も、お箸型や腕に装着する形などいろいろ模索されたんですよね?
佐藤氏:はい。手作りの基板と銅線をつないだ実験機で何度も検証しました。お箸だとケーブルが邪魔になったり動きが制限されたりする。お客様が日常の食事でストレスなく、自然に使えるデザインを探求した結果、まずはスプーンという形状に行き着きました。

出村氏:プロトタイプという「目に見える形」がテーブルの上に載った瞬間、社内外の議論がグッと加速したのが目に浮かびます。佐藤さんがプロジェクトデザインにおいて、絶対に譲れない「核(コア)」は何ですか?
佐藤氏:「お客様にお渡しする品質」です。いくらスピードや利益を求めても、品質だけは絶対に妥協しない。社内的には発売時期を後ろ倒しにしてでも、要求される品質基準をクリアすることにこだわりました。
出村氏:顧客の期待値に応える品質こそが最優先だということですね。
次ページからは、Podcast収録後に実施した追加取材を交えて、「エレキソルト発売後のその後と現在地」について深掘りしていきます。
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