「東のお米は危険」という理由で売れても嬉しくなかった
――ところが、会社はそんなに好調なのに、信岡さんは2014年5月、東京に戻ってきて、海士町の仕事もしながら新しい活動を始めることにします。その理由は何だったのでしょうか。
信岡: 2011年3月11日の東日本大震災ですね。地震が起きてから半年後ぐらいに、「海士Webデパート」で、お米がバカ売れしました。と言っても、10人程度の年間契約者の申し込みがあっただけなのですが、そんなにたくさん扱っていないので、すぐ売り切れ。つまり、東のお米は怖いから、西のお米を買おうという消費者心理が働いたわけで、どんな営業をするよりも効果があった。でも、僕は、そのことが全然嬉しくありませんでした。結局、ある田舎の力がなくなると、どこかの田舎が盛り上がる。それだけじゃないかと思えたんです。