「戦略立案力」よりも「個人の資質に依存する構想力」が問われている
世代によってイメージする人物に差はあっても、日本で「戦略コンサル」といえば、大前研一氏を想起する方が多いのではないでしょうか。その大前氏が2001年にハーバードビジネスレビューに、以下のようなコラムを寄稿しています。さすが戦略コンサルのトップレベルにある方は、自身の業界にあるジレンマに対しても、明確な解をもっています。特に「15年以上前」ということを考えれば、その先見性は言及するまでもありません。
「戦略とは何か」と問われるならば、私はもはやそれを定義しようとは思わない。より正確に言うならば、こうすれば企業は成功する、あるいは事業がうまく発展するという、戦略と呼ばれる「型紙」、すなわち、経営学者の言うところのフレームワークでは、何も見えなければ、答えも出ないということだ。
競争優位の戦略、商品市場戦略、アライアンス戦略、そしてバリューチェーンやコア・コンピタンスといった、競争のエッセンスとなるフレームワークは、二〇世紀後半、安定成長が見込まれる工業化社会の末期に生み出されたものである。
それらを一部の企業エリートが学び、戦略なるものを立案し、数千あるいは数万の現場従業員たちを指揮しながら粛々と実践することで成長できる時代は終わった。
「戦略とは何か」。もはや戦略の定義など不要だろう。ニュー・エコノミーという「見えない大陸」は、戦略というフレームワークを超越している。「見えない大陸」を制覇するには、戦略立案力よりも、むしろ「パーソン・スペシフィック」(個人の資質に依存する)な「構想力」が問われる。出典:大前研一『4つの経済空間を駆けめぐる「見えない大陸」:覇者の条件』(ハーバードビジネスレビュー2001年5月号)
合理性の世界にいる人からみればオープンイノベーションの世界は「ごっこ」に見えるようですが、合理性からは「逸脱的イノベーションは生まれない」のであれば、この「ごっこ」で試行錯誤の中から学ぶプロセスも意義があると言えないでしょうか。「やりっ放しの“ごっこ”」に関しては、その価値をあえて言及するべきことでもありませんが…。