人事部でさえ“間違った”と認める配属、スピード昇進、マネジャー職への違和感
仲山進也氏(以下、敬称略):トラリーマンの共通項として「レールから外れた経験」のような「痛みを伴う転換点」があるのではという仮説を立てているのですが、万丈さんは思い当たりますか?
島原万丈氏(以下、敬称略):レールから外れるという表現なのか分かりませんが、「いつも間違った場所から始めなきゃいけなかった」という実感はありますね。リクルートに就職した平成元年はめっちゃ景気が良くて就職活動もほとんどしないまま入れたんです。それはラッキーだったんですが、最初に配属されたのがリクルートリサーチという調査会社で統計作業が仕事だと。
「うわ。算数できないんだよなぁ」と思っていたら、会社の人事からも「お前は採用ミスだった」と怒られる始末で。「ヤベー」と思っていたら2年後に営業に異動になって、「営業はいやだって言ったのに…」と暗い気持ちに。初日に先輩に同行したら、「この人、口うまいなぁ。ああ言えばこう言う。お客さんはさっきと全然違うこと言っているのに、全部仰るとおりですって肯定している。かなわねぇ!」と敗北感しかないわけです。
営業なのに喋りが苦手だったから、「言いたいこと全部企画書に書いて来たので読んで下さい」ってスタイルにしたんですね。するとなぜか売れちゃって、結果的にかなり早いスピードで昇進しました。たしか30歳くらいでマネジャーになったと思います。年上の部下がたくさんいました。でも、何年かして、マネジャーの役割は自分には合っていないと気づきましたね。
仲山:なぜですか?
島原:うーん、他人のモチベーションまで管理することを背負いきれなかったのだと思います。当時のリクルートは今で言うとブラック企業というかハードワークなカルチャーで、僕もどっぷり染まってました。
例えば、朝10時にお客さんとのアポが入っていたら、「最遅でも2時間前の8時まではギリギリ資料を直せるじゃん」というのが僕の感覚。でも、そうではない部下もいて、精度の低い企画書でプレゼンに臨もうとする。それを指摘したら「そこまではできません」と言われる。「わかった。だったら、給料も低めでいいですか?」と聞いたら「それは嫌です」と。「それじゃ困るんだよなぁ」と悩んでしまうけれど、そんなメンバーからすれば「ついて行けない」となる。査定会議で他部署のマネジャーと調整するのにも疲弊して。
幸い、会社がマネジャーコースではないスペシャリストコースを導入し始めたので、「こっち!」と迷わず選びました。
仲山:その転換が何歳くらいの時ですか?
島原:30代前半ですね。いわゆるプレイングマネジャーになりました。他人のモチベーションの管理法っていまだに分からないです。「モチベーションが高い前提で仕事しませんか?」という感覚があるので。だから、リクルート時代に苦手だったのは社内表彰のイベント。全員のモチベーションを上げるために3時間使う意味が分からない(笑)。
仲山:分かります。「新しいサービスが始まりました! 1人10件取ってきましょう! MVPにはこの賞品!」みたいな社内キャンペーンで、一部の人がすごく盛り上がっているのを見るとテンションが下がるほうです。賞品のためにがんばってる感が出ちゃうのがイヤで。「お客さんが喜んでくれて楽しいから夢中でやってるだけなのにな」と思いながら、淡々と仕事をしています(笑)。
島原:「仲間のために頑張りました」みたいな涙のスピーチも美しいんですが、「俺は関係ねぇな」と(笑)。「やりたい人だけやればいいのになんで全員参加なのかな?」と疑問でした。