痛みを伴う転換点では“置かれた場所で咲く”──研究成果を実践するプロセスでの出会いと気づき
仲山進也氏(以下、敬称略):一見、自由度のなさそうな自衛隊という組織の中で、自分の関心あるテーマに没頭できていると。トラリーマンの共通点として「レールから外れた経験のような”痛みを伴う転換点”がある」というものを考えているのですが、伊藤さんの場合はいかがでしょう。
伊藤大輔氏(以下、敬称略):組織を辞めない限りレールの上に乗っているという認識でいるのですが(笑)、これは挫折したことがあるか、出世というレールから外れたかという質問ですね。それならあります。那覇にある方面隊司令部から、空自基地のない大分県へ異動になったことも。
仲山:そのときは、どのような仕事を?
伊藤:自衛官は定年が早く50代で退職します。また、若い自衛官でも任期満了退職といって20代で退職する方もいます。そういう勤務特性もあり、自衛官の再就職を支援する「援護」という部門があります。自衛官のライフプランを構築するうえで、重要な部署なのですが、そこでデータ解析等の強みを使って努力を続けた結果、市ヶ谷の航空幕僚監部に登用されました。
仲山:やっぱり「痛みを伴う転換点」があったわけですね。そこで腐らず、やれることを自分なりにやる。
伊藤:当時考えたのは、「一隅を照らすため、せっかくだから、自分が取り組んできた戦略や作戦に関する研究を援護の仕事に使ってみよう。それでどこまで成果を挙げられるかやってみよう」ということでした。
仲山:具体的にはどういうふうに?
伊藤:自衛隊を知ってもらい、自衛官を活用しようと思って頂けるように、いろんなアイデアを出し、プログラムを開発したり、広報手法を確立したり、人を集めての新しい試みを途切れることなく続けました。
もう一つ、人との出会いによって成長させてもらった経験も宝です。大分に「株式会社さいえん」という葬儀社があるのですが、そちらの山本昌豊社長という方が人間的に素晴らしい方で。そのリーダーシップに感銘を受けたことも、私のモチベーションを高めたと思います。
山本社長に紹介してもらって出会った「株式会社カートピアキクチ」の菊池徹社長も、いかに楽しみながら仕事の成果を出していくかという価値観を示してくれる方で。「我々ももっと外の世界から学んでいかないと」という動機付けになりました。
仲山:市ヶ谷に異動してからは順調でしたか?
伊藤:はじめは人事計画を担う部署に配置され、航空自衛官の補充、昇任に関連する業務を担当し、仕組みを構築しました。その後、組織改編を担う部署へ異動となり、先にお話ししたとおり、現在所属している航空研究センターの設立に関わることになりました。ひと段落すると、さらにコアな防衛力整備を担う部署へ異動させていただいたのですが、そこで息切れしてしまいました(笑)。
そこから、今の航空研究センターに落ち着いたという感じです。痛みを伴う転換点も含めていろいろな経験をしましたが、それぞれの場所で自分が軸としている「研究」を生かし、成果として残すこともできて、新たなつながりも生まれたのは有り難かったですね。