シンガポール留学で身に染みた彼我(ひが)の差
市谷 聡啓氏(以下、敬称略):吉田さんは2015年7月〜17年7月に海外に留学されていますが、どういう意図があったのでしょうか。
吉田 泰己氏(以下、敬称略):元々は「行政のデジタル化について勉強しよう」と思って留学したわけではありません。最初に配属された部署で海外の法人税制などを調べる中で、シンガポールの政策が非常に戦略的で面白いことが学べるのではないかと思ったことがきっかけでした。まず、最初の1年でシンガポール国立大においてMBA(経営学修士)を取得しました。行政官としてのキャリアを歩む中で、実際に事業を行う経営の知見がなかったので、勉強したいというのもあって。その後、1年間リー・クワンユー公共政策大学院で公共経営学修士を取得しました。このプログラムでは、ハーバードケネディスクールへ1学期間、フェローとして在籍して学ぶこともできました。
留学当時は、日本からも徐々に大きなスタートアップが出てくる中で、こうしたプレーヤーのグローバル化を支援するにあたり、シンガポールをハブにして、アジアマーケットを中心に広げていくというシナリオもあるのではないかということを考えていました。シンガポール政府自体もスタートアップエコシステムを作る取り組みに注力しており、現地のスタートアップコミュニティに出入りして、情報収集をしていました。
市谷:なるほど。
吉田:2014年からシンガポール政府は「スマートネーション(Smart Nation)構想」を掲げて、リー・シェンロン(李顕竜)首相の下、一気にデジタル化を進めようというイニシアチブが取られていました。そして、政府の中にITスタートアップを作るかのごとく「Government Technology Agency(GovTech)」という組織が2016年に立ち上がり、実際にすごい勢いで行政サービスのデジタル化が進んでいくのを目の当たりにしました。
日本のスタートアップがイノベーションを起こし、世の中に貢献することにももちろん意味がある。ですが、シンガポール政府のデジタル化の様子を目の当たりにするうち、自分が所属する行政の方が変革されるべき存在なのではないかという思いが強くなっていきました。行政が非効率だから社会の効率性、社会的便益を損なっている。そして、その中にいる当事者だからこそ変えられることもあり、世の中にインパクトを与えられると思い、行政のデジタル化をやりたいという考えに至ったわけです。
市谷:世の中的にはまだ、「DX」という言葉が市民権を得るか得ないかくらいのタイミングじゃないですか?
吉田:そうですね。経済産業省の中でも、帰国した2017年ごろにようやく民間企業のデジタルトランスフォーメーションが言われはじめていたと思います。いわゆる「DXレポート[1]」はその1年後、2018年9月にリリースされました。でも、行政のDXの方が自分自身で取り組むべき重要なミッションではないかと思いました。産業界のDXを推進する一方で、行政組織である自分たちはそれができているのか。そんな思いがありました。
[1]デジタルトランスフォーメーションに向けた研究会「DXレポート〜ITシステム『2025年の崖』の克服とDXの本格的な展開〜」(経済産業、2018年9月7日)