日本企業が自然にSECIモデルを実践できた理由
田中弦氏(以下、敬称略):個々人のモチベーションを元に仕事をやらせると、個人に人的資本が溜まっていく一方で、組織としてのまとまりがなくなってしまう。そこで、経営者は意図的に組織のカルチャーを醸成するアクションを取っていく必要があるというお話を先ほどまでしてきました。
そこで重要なのは、どんなカルチャーをつくるかということですよね。一匹狼の集団で全員がライバルなのか、全員で目的を達成するためにノウハウをシェアするカルチャーなのかで、全然違います。
琴坂将広氏(以下、敬称略):とても重要な問いですね。日本企業でSECIモデルのようなことが自然にできていた一因は、終身雇用、年功序列、家族的経営が有効に機能していたからでもあります。どれだけ自分の知見やコネクションを他のメンバーに共有しても、ある一定期間においては、後輩や部下との関係性、立場が変わらないという信頼関係のもと、どんどん組織内に知識が伝搬していく構造がありました。助け合いの構造の中で、GIVEすれば、ちゃんと長期的には自分に帰ってくる、という信頼があったのです。
これが例えば、いわゆる成果主義の競争的な環境になると、「営業はこうやってやるんだよ」と教えた新入社員が、半年後には自分の立場を危うくするかもしれない。そんな状態では、知識やノウハウは組織内で還流しません。
日本は幸か不幸か、様々な偶発的な要因によって還流しやすい状況だったから、野中郁次郎先生のSECIモデルのような経営が自然にできたと思っています。今はそうではなくなっているので、あえてパーパスやバリューを設定しなければいけないわけです。
田中:世の中全体が成長基調にあり、「社員は全員家族」的な雰囲気で勢いよく仕事をしていたときは、自然に知識が還流していたということですよね。それがこの30年くらいで、できなくなったのは何故でしょうか。
琴坂:以前は、経営トップが公式の枠組みでやらなくても、知識が勝手に還流するしくみがありました。毎週の飲み会で「うちの会社はこうやって営業するんだ」とか「専務は20代の頃にこんなことやってさ」といった社内の伝説や寓話が語られたりして、価値観に染められる機会が非公式にありました。しかもまだ創業者が生きている時代で、アドバイザーとしてやってきて社員に語りかけたりもしていた。