透明性はAIにより「時間を生み出す投資」となる
タン氏は「ラディカル・トランスペアレンシー(徹底した透明性)」を実践し、公開した会議記録は2,000件を超える。窮屈ではないかと問われると、公開されているのは「全体のわずか一割にすぎない」と明かした。
透明性とプライバシーは「陰陽のバランス」だと表現する。2,000件は10年分の蓄積で、彼女の時間全体の一割。残る九割は睡眠を含む私的領域だ。
透明性の継続は、思わぬ副産物も生んだ。公開記録をAIが学習し、タン氏の思考様式を再現し始めた。「AIの中に、もうひとりのオードリー・タンがいる」と彼女は語る。透明性は義務ではなく、「時間を生み出すための投資」としても機能するのだ。
「あなたは課題解決者なのか」と問われると、タン氏は首を横に振る。自らを「答えをひねり出す人」ではなく、「答えが生まれる場をつくる人」だと考えている。活動も、良いアイデアを拾い上げ、社会に広げる仕組みを設計してきたにすぎないと語る。
「創造が思いがけない形で花開く瞬間に、最も喜びを感じる」とタン氏は言う。想像した未来より現実が先へ進む、その予測不能な展開こそが最大の報酬なのだ。

人間的前提条件は「よく眠ること」
「余命18ケ月ならどう過ごすか」との問いに、タン氏は「今とほとんど変わらない」と答えた。いつ死ぬかわからない前提で生きるのが日常だったからだ。
違いは、周囲が「もっと言葉を残してほしい」と願うことだろう。そのとき彼女は、さらに多く眠るかもしれないと微笑む。睡眠はエネルギー源であり、詩を書くためにも必要だ。彼女は政治的著作のほとんどは詩であるとし、自らを「ポエティシャン(poetician)」──詩人であり政治家──と呼ぶ。
なぜ詩か。詩は「不可能を、夢見る想像力を言葉にする芸術」だ。王権神授(絶対君主の王権の根拠を神に求める政治思想)が信じられた時代にも、「そうではない世界」を先に思い描いた人々がいた。詩は「別の可能性」を言語化し、共有し、現実へと接続する第一歩になる。
多元的な民主主義が機能するための人間的前提は何か。タン氏の答えはシンプルだった。「よく眠ること」です、と。
脳は睡眠中に情報を統合し、学びを定着させる。眠れない社会は、新たな共通知や合意をシステムに反映できず、更新不能に陥る。高度な制度設計の根底にも、人間の基礎代謝としての休息がある。
困難な経験を踏まえ、今苦しんでいる人が、明日の朝、最初にできることはと問われると、「朝は働かず、ゆっくり休み、たっぷり眠りましょう。競うように眠るのです」とタン氏は、セッションの最後に穏やかに答えた。

