「生命は必然的な不可能である」(本書第6章より)
テクニウムの進化を考えるにあたり、著者は再び生命の歴史に立ち返る。著者が検証するのは、いまある生命のカタチが果たして「必然」であるのかどうかだ。我々人間は、地球誕生以来の様々な偶然の積み重ねでこの地球上に発生した。もし時計を元に戻してやり直しても、ヒトは地球に現れるのか。本書は生命のカタチを決める2つの制約を挙げる。
「負の制約」が進化に制限を与える
原子の組み合わせ方は無限にあるが、重力をはじめとする物理法則や、幾何学に基づく効率に従うと、実現可能な形態は制限される。これが「負の制約」だ。本書によれば、体重や新陳代謝など地球上の生命を形作る性質は、「負の制約」の影響により必ずある範囲に収まるという。
この試行は1000回以上繰り返され、効率性の分布は典型的な正規分布となったという。そして本書によれば、「その遥かな端に位置するのが、地球にあるDNAだった」。
この実験は、DNAが可能性のあるコードの中でも最も効率的な自己増殖可能な構造であること、これが負の制約に基づく「必然」であることを示唆している。
「正の制約」が生命のデザインに方向を与える
進化は「負の制約」の幅の中であれば完全にランダムなのか。本書によれば、突然変異の中にはあまりに起きやすいものがあるという(自己優先ループ)。
本書が挙げる例の1つが「眼」だ。この「生物的カメラ」は網膜、レンズ、瞳孔の3つの部品が完全にまとまることで機能するため、奇跡とも呼ばれる。
ところが、この奇跡的な光学構造はある種のタコ、ナメクジ、海洋環状生物、クラゲ、クモの別系統の動物たちにも見られ、しかしこれらの共通の祖先は眼を持たないという。それぞれが独立して「眼の獲得」という進化を果たしたことになる。
6度も独立して同じ進化が起きたというのは、奇跡を超えているのでは、というのが本書の投げかける疑問だ。
まるで進化があるデザインを創造したがっているように見える。(中略)生命は眼球を作りたがっている。
系統の異なる生命が個別に同じ形状を獲得することを「収束進化」と言う。本書は眼のほかにも、羽や、反響定位、二足歩行、植物の食虫性、浮き袋など、多くの例を挙げている。これらの事例から本書は、生命の進化には、「遺伝子結合と代謝経路における自己組織化する複雑性が生み出す正の制約」があるとする。
生命の進化の過程は、現在の教科書で正統とされているような、宇宙の中での無作為ではないと主張する。進化やその拡張型としてのテクニウムはむしろ、物質の性質やエネルギーにより決定される固有の方向性を持っている。この方向性によって、必然的に生命の形が作られる。