営業や金融に30年以上携わったベテランは、何を求めて大学院の門を叩いたのか
宇田川 元一氏(埼玉大学大学院 准教授、敬称略):私は小笠原さんの論文の主指導を担当していますが、そもそもなぜ、大学院に来ようと思われたのですか?
小笠原 義成氏(以下、敬称略):私はIT関連の大企業におりますが、過去に30年以上営業をやりました。管理職として、東京や地方で製造業や流通業のお客様を担当してきたんです。その後3年ほど営業の販売推進の仕事を経て、営業部門の中にリスクマネジメント室を立ち上げました。
リスクマネジメント室を始めた目的は、営業部門と法務部門の間に入ることで契約審査をスピードアップする、といったことでしたが、最初は苦労しました。
営業での経験が役立つ面もあるのですが、それ以上の専門性と幅広い知識が要求されるのです。法律や会計、情報セキュリティ、細かいところでは個人情報保護法やマイナンバー……。そういったことを独学で学ぼうとするうちに、一度体系だった学習をしてみたくなって、大学院を受けてみようと思ったのです。
宇田川:木内さんは、修士課程を経て博士課程も修了され、今は非常勤の講師もされているんですよね。どんなきっかけで大学院に来られたのでしょうか?
木内 卓氏(以下、敬称略):私は、今は関連会社に転籍して管理職をしていますが、リーマンショックのとき、メガバンクの財務担当者として、まさに激動の渦中にいました。
大学院に来る動機が生まれたのは、その後です。金融危機の再発を防ぐために金融規制を強化しようという議論が国際的に盛んだったとき、民間銀行の担当者として、金融庁や日銀の人などとその議論に参加したのです。日本の立場を主張するという役割でしたが、海外の議論が経済学の知見を背景とする根拠も示して主張してくるのに対し、充分に論拠を示して反駁することがなかなかできなかった……。それから10年経って銀行の第一線を退いたとき、当時の悔しい気持ちを思い出し、「あのときに気になっていたことを研究したい、あらためて深めたい」と思ったんです。それで、2015年に修士課程に入学しました。
宇田川:リーマンショックから6~7年経っても、その思いが消えなかったんですね。
木内:強烈な体験だったんです。リーマンショックが起きたのが2008年9月。その後に金融規制を抜本的に強化しようという議論が起き、「バーゼル3」と言われる最初の合意に達したのが2009年の12月です。その1年で大きな変化に直面したので、当時感じたことを改めて深めたいと思ったわけです。