繁栄をもたらした「人種差別的環境」と「モーターシティ」が、長期的な衰退の要因となった
1964年にできた高速道路I-375フリーウェイも、デトロイトの分断を後押しした。高速道路の開発自体は自動車産業を後押しするものではあったが、I-375フリーウェイはデトロイト市を道の両側に分けてしまい、コミュニティを壊すという結果になったのだ。また自動車産業の隆盛と共に、市の路面電車は利用されなくなり、廃線になった。デトロイトは真に「モーターシティ」、自動車に頼った都市となった。
1967年にはデトロイト暴動が起こる。きっかけは黒人の多い地域にある無免許酒場の摘発だったが、長年の人種差別に不満を持っていた人たちはこの摘発を人種によるバイアスがかかった警察の行動だと反感を持ち、大規模な暴動に発展。死者43人、負傷者1100人以上を数え、略奪、銃撃が市内各地で勃発した。民家に加え商業施設や公共施設等、デトロイト市の経済や生活に必要な施設も放火され、壊された。その影響で40年後の現在も、広大な空き地が残っている。