様々な意見を統合し、新たな意味や価値を創り出す仲介者としてのデザイナー
岩嵜博論氏(以下、敬称略):僕は昨年出版した『デザインとビジネス 創造性を仕事に活かすためのブックガイド』(日本経済新聞出版社)の中で、「拡張するデザインのコンセプト」という章を設けました。そこでは、デザインが姿かたちを捉えた狭義の領域から、デザイン思考、サービスデザイン、スペキュラティブデザイン、政策のためのデザインと拡張していく流れを解説しています。
三澤さんは金沢美術工芸大学を卒業後に、UXデザイナー、デザインリサーチャー、サービスデザイナーを経て、ビジョンデザイナーとして活動していますよね。そのキャリア自体が、デザインを拡張させながら進んでいるように見えるんですが、どういう経緯で現在の活動に至ったんですか。
三澤直加氏(以下、敬称略):もともとはプロダクトデザインがやりたかったんですよ。大学の専攻もプロダクトデザインです。特定の製品を作りたいというわけではなく、公共的なものとか家電製品とか、誰かの役に立ったり、ワクワクできたりするプロダクトが作りたいなと漠然と考えていました。
その後、2000年にデザイン会社にプロダクトデザイナーとして就職するんですが、その会社が入社直後にプロダクトデザインを止めちゃうんですよ。2000年はユーザビリティ研究者のヤコブ・ニールセンが「ヤコブの法則」(ユーザは既知のプロダクトの動作体験を他のプロダクトにも期待するという法則)を提唱した年で、UIやUXに注目が集まりはじめていました。その流れの中で、私がいた会社がプロダクトデザインからデザインリサーチやデザインコンサルに軸足を移していって、私自身もデザインリサーチャーやサービスデザイナーとして活動することになりました。
そうこうするうちに2011年に独立したんですが、そのころには誰かが会議室で考えた企画を形にするような受注型のデザインには違和感を抱くようになっていました。なので、今の会社を立ち上げるときに「共創型のデザイン」をテーマに据えました。
岩嵜:それは一般的にCo-CreationやCo-Designといわれる、ステークホルダーと共に創り上げていくデザインのことですよね。その活動にたどり着いたきっかけは何だったんでしょう。
三澤:東日本大震災の影響は大きかったかもしれない。震災後、企業や行政や地域が連携して社会の未来や課題を話し合う「フューチャーセッション」が注目を集めていました。その活動に参加するうちに、ファシリテーションやグラフィックレコーディングを担当するようになりました。特に、被災された方たちと一緒に、欲しいものを語り合いプロトタイピングしていくプロセスは、とても自然で理想的だと感じました。
ビジョンづくりを手がけるようになったのも同じような流れでしたね。独立して、いろんなプロジェクトにUXデザイナーやデザインリサーチャーとして参加するうちに、コンセプトをまとめたり、ビジョンを作ったりするようになっていました。成果が出ているプロジェクトは長期化するので、必然的に5年後、10年後の未来を見据えるようになるんです。その中で、ビジョンづくりを推進する役割に収まっていきました。
岩嵜:なるほど。最近、僕はよく「メディエイターとしてのデザイナー」という話をするんです。メディエイターとは「仲介者」のことで、要は「人と人をつなぎ合わせる役割」のことです。昨年、フィンランドにリサーチに訪れて知ったんですが、現地では行政の現場にデザイナーが介在して、ファシリテーターを担ったり、ビジョンづくりを主導したりしていました。つまり、デザインには様々な意見をまとめ、統合し、そこから新たな意味や価値を創り出したりする力が備わっているわけですね。その力を三澤さんはキャリアの中で体現しているのだと思います。