「ファイナンス不在の経営」はなぜ生まれるのか
──お二人には、1月21日のイベント「Biz/Zine Day 2025 Winter」にご登壇いただきます。最初に、セッションでも中心テーマとなる「事業家的人材」と「投資家的人材」について解説いただけますか。
佐藤克宏氏(以下、敬称略):私は昨年出版した『戦略としての企業価値』(ダイヤモンド社)のなかで、「経営者は事業家であり投資家でもあるべき」と問題提起しました。事業家とは組織の戦略を立案・実行する立場であり、一方、投資家とは事業によって生み出されるキャッシュフローや企業価値をファイナンスの観点で予測し評価する立場です。戦略は「原因」であり、キャッシュフローや企業価値が「結果」と言い換えることもできます。この原因と結果の因果関係を、戦略とファイナンスの言葉で説明するのが経営者の役割なのです。だから、経営者は事業家と投資家の両方の側面を持ち合わせなければいけません。
日置圭介氏(以下、敬称略):経営者が事業とファイナンスの両方の視点を持って経営の舵取りをする。これは、海外の企業では普通の話です。
佐藤:おっしゃる通りで、私は当たり前のことを書いたに過ぎないと思っています。しかし、実態はそうなっていません。投資家向けの説明一つにしても、経営者のファイナンスへの理解の乏しさが表れています。
例えば、「当社は“十分な”企業価値を創造し……」とか「“安定的かつ持続的な”キャッシュフローを生んでおり……」といった、よくある言い回しです。「十分な」「安定的かつ持続的な」とは、具体的に何を指しているのでしょうか。なぜ、「ROIC(投下資本利益率)がWACC(加重平均資本コスト)を上回る水準でリターンを……」といった客観的な指標で企業価値を語らないのか。ある人物にとっては十分な企業価値の創造でも、別の人物にとっては十分ではないことは、いくらでもあるはずです。このように、ファイナンスの言葉を身に付けていないと、投資家向けや、ひいては社内に向けてさえも自社の戦略やその結果である業績や企業価値を説明できなくなってしまいます。
日置:問題意識には非常に共感します。私がBCGで勤務していたころに所属していたのは「コーポレートファイナンス&ストラテジー(CFS)」というチームでした。このチーム名に表れているとおり、グローバルでは戦略とファイナンスを表裏一体で考えるのが一般的です。
それに対して、日本企業では「ファイナンス」という言葉自体に小難しさを感じている方が少なくありません。それが「専門家に任せればよい」という風潮を生んでいます。しかし、よく考えてみると、事業を作るときには事業計画を練って、資金を調達し、アセットを構築する。そのアセットを活用して売上を作り、利益を得ますよね。このプロセスのなかではキャッシュ→BS→PLといったキャッシュの流れが組み込まれています。ファイナンスを意識するのはビジネスの基本のはずです。
佐藤:その通りですね。ビジネスを作るうえで、戦略に加えて、ファイナンスも避けて通れません。
日置:私の知る限り、日本企業でも、創業者は事業家と投資家の両側面を有していることが多いですね。そもそも創業者は資金が足りないところから事業をスタートするので、「どうしたらキャッシュが調達できるのか」という思考も回すため、投資家サイドからの視点を持たざるを得ません。
では、なぜ多くの経営者から次第に投資家的な素養が抜け落ちるのか。ある程度の大きさにまで成長した会社では差し当たってのキャッシュには困らなくなります。さすがに大型の投資の際にはキャッシュもBSへの影響も考慮しますが、あくまで社内調整の範囲であることも多く、事業を運営する際にはトップラインを中心としたPL予算達成に目がいくようになります。そうしたある意味で恵まれた環境で育った人材は、事業家の面だけが突出していきます。それでも事業責任者レベルの立場であれば活躍できるでしょうが、企業経営者としては苦しい。経営者は事業だけでなく、組織を構成するあらゆる要素に目を配らなければいけませんから。
佐藤:「恵まれた経営者の病」だというわけですね。
日置:はい。逆にいえば、ファイナンスを意識しなくてよいほど恵まれた環境にいたということなのでしょう。高度成長期を通じて日本企業が成し遂げた奇跡の成長、その「成功の代償」なのかもしれませんね。
一般社団法人日本CHRO協会/一般社団法人日本CFO協会シニア・エグゼクティブ日置圭介氏と、早稲田大学大学院経営管理研究科教授の佐藤克宏氏が登壇!