スマホ台頭で痛感した“限界”、海外での学び直しへ
梶川:iモードの成功後、笹原さんは関西支社を経て再びプロダクト部に戻られます。2000年代後半、ガラケー全盛期ですが、そこで「リブランディング」を主導されましたね。
笹原:はい。関西支社で外から携帯電話市場を俯瞰していて、技術偏重の高機能化競争に行き詰まりを感じていました。お客様不在で機能がてんこ盛りになっていると思ったんです。そこで希望を出してプロダクト部に戻り、従来のシリーズ体系の刷新に着手します。プロジェクトのリーダーとして、デザイン重視の「STYLE」や、ビジネス向けの「SMART」など4シリーズへの再編を進めました。
梶川:2009年当時は高い支持を得ましたが、その後、スマートフォンの台頭で環境が激変します。
笹原:そうなんです。AppleやSamsungといったグローバルプレイヤーが台頭する中で、「日本の携帯電話のことしか知らない自分」に限界を感じました。このままでは仕事ができなくなるという危機感から、MBA留学を決意したんです。実は英語も苦手で、アメリカでの一人暮らしも嫌だったのですが、学歴コンプレックスへのリベンジという個人的な動機もあり、必死で勉強して渡米しました。
梶川:ガラケーでの成功体験を一度手放し、グローバルという未体験ゾーンへ飛び込んだわけですね。
笹原:はい。帰国後はマーケティング部でEvernoteやFacebookとのアライアンスを担当し、海外スタートアップとの連携を経験しました。この「外の世界」を知ったことが、次のキャリアである社内起業制度の立ち上げに繋がっていきます。
最も難しい「撤退」の判断。39worksで学んだ組織運営
梶川: 留学から戻られた後、社内起業家支援プログラム「39works」の立ち上げに参画されます。ここは自ら希望されたのですか?
笹原:はい。「0→1」で新しいことをやりたい、スタートアップ連携をやりたいと希望し、立ち上げ直後のチームに入りました。ここでは、自らが企画するのではなく、社員がアイデアを形にするための「場」を運営する側に回りました。
梶川:プレイヤーから運営側へ回ることで、視点はどう変わったのでしょうか。
笹原:「まずはやってみる」ことの重要性を痛感しました。新しい事業は、机上で考えていても何もわかりません。怖いけれど、まずはいくつか始めてみて、ポートフォリオで見ていくしかない。一方で、最も難しかったのは「撤退」の判断です。事業リーダーは情熱を持っていますし、チームメンバーも抱えているので、自分からはなかなか「辞める」とは言えません。
だからこそ、運営側が「もう十分にやった。ここで終わろう」と引導を渡してあげることが、彼らを守ることにもなると学びました。39worksでの「個を尊重し、本音で言い合えるフラットな組織運営」の経験が、後のマネジメントの基礎になっています。
