モデルT効果
市場創造型イノベーションのもつ潜在力の最もわかりやすい例はおそらく、フォードのモデルTではないか。ほぼ1世紀前、アメリカの車は装飾品で、金持ちのステータスシンボルだった。1900年当時、アメリカで登録されていた車は1万台に満たず、移動という実用的な理由もありはしたが、地位を誇示する目的も同じくらい大きかった(現代のプライベートジェット機と似ていなくもない)。車が走れるような舗装道路は少なく、給油できるガソリンスタンドも、車を買えるだけの裕福なアメリカ人も少なかった。これらすべてをヘンリー・フォードが変えたのだ。
年間生産台数が1909年の2万台から1922年には200万台以上に激増したように、多くのアメリカ人がいっせいに車を購入したので、この自動車ブームはアメリカに大きな文化的変容をもたらした。どこでどんなふうに暮らし、働き、遊ぶかというアメリカ人のライフスタイルが変わり、学校が増え、郊外の開発が始まった。農作物の輸送効率が上がり、旅行やホテル、ファストフード、自動車修理工場、自動車保険など、新しい職種と業界が出現した。鉄鋼や石油、塗料、木材、セメント、ガラス、ゴムなど、自動車メーカーに直接、原材料を納入する多くの業界が創設され、自動車の製造と販売・保守を教える学校も出はじめた。公共機関はこれらの動きに応え、道路の建設や、自動車をより安全にするための法整備に努めた。そうしたあらゆることの根底にあったのが、自動車と、フォードが創出に尽力した自動車市場だった。
モデルTの創出した新市場は莫大な雇用と税収を生んだだけでなく、アメリカ経済に大きな下流効果をもたらした。モデルTを買って乗る人が増えるほど、競合社が出現し、業界の効率も活力も増大し、自動車業界がアメリカ経済の中心的位置を占めるようになっていった。アメリカ人は車を愛し、行政府は道路を延ばして期待に応えた。フォードから始まったこうした好循環は続き、1909~1927年のあいだにフォードは1500万台のモデルTを製造している。自動車が道路を生み、道路は郊外を発展させ、職を生み、犯罪を減らした。
フォードのイノベーションが生み出したのはたんなる自動車ではない。自動車のまったく新しい市場をつくるという構想を結実させた、ビジネスモデルそのものだった。市場創造型イノベーションのもたらす成果は、実際のプロダクトというよりもむしろ、イノベーターが具体化したバリューネットワークとビジネスモデルにある。何百万人のアメリカ人に車を売るには、運転しやすく低価格の自動車をつくるだけでなく、ガソリンスタンドや、完成品を輸送する鉄道、車を所有したことのない一般的なアメリカ人をターゲットにした果敢なキャンペーンなど、多くのことに投資する必要があった。
しかし、モデルTとそれが創造した新市場の華々しい成功の裏で、フォードは持続型イノベーションにはあまり投資しなかった。持続型イノベーションの重要性がよく表れているのは次の数字だ。フォード・モーターは1921年、アメリカの自動車市場で圧倒的な60%のシェアを握っていた。しかし、持続型イノベーションへの投資が貧弱であったためにその地位を失い、1936年には第3位の市場シェアに転落している。頻繁なモデルチェンジや多色展開、掛け売り制度など顧客に多くを与えたゼネラルモーターズ(GM)が43%で市場トップ、クライスラーが25%で第2位に躍進した。先述のとおり、市場創造型イノベーションが将来の成長を生み出す土台を提供するのに対し、持続型イノベーションと効率化イノベーションはその土台の上で企業および経済の活力を保ち、前進させるのだ。