ミスターミニット迫氏と宇田川准教授が語る、「経営と現場のナラティヴの溝」と「企業における依存症」とは

ゲスト:ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長 迫俊亮氏【前編】

 組織論・経営戦略論研究者の埼玉大学大学院宇田川元一准教授の初の著書『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)は、組織で起きている複雑で厄介な問題を解く鍵としてナラティヴ・アプローチという考え方に基づく「対話」を促す本だ。本連載では、同書をベースに組織における様々なビジネスパーソンと対話について議論していく。
 初回のゲストは靴修理の老舗「ミスターミニット」を運営するミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長の迫俊亮氏。迫氏の著書『やる気を引き出し、人を動かす リーダーの現場力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)における経営者としての対話に宇田川氏が注目したことから、本対談が実現した。迫氏が28歳の若さで社長職につくまでの経緯に始まり、経営の試行錯誤の中で学んだこと、経営者にとっての「対話」の重要性まで、宇田川氏との充実した議論の内容を、全3回にわたってお送りする。

[公開日]

[語り手] 迫 俊亮 宇田川 元一 [取材・構成] やつづかえり [写] 和久田 知博 [編] 栗原 茂(Biz/Zine編集部)

[タグ] 企業戦略 社会構成主義 技術的問題 適応課題 ナラティヴ・アプローチ 依存症

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自分にない経営の経験を得られることを期待し、ファンドの門を叩いた

宇田川元一氏(埼玉大学経済経営系大学院 准教授、以下敬称略):まずは、迫さんがミスターミニットに行かれるまでの経緯をご紹介いただけますか。

迫俊亮氏(ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長、以下敬称略):僕はアメリカの大学を社会学専攻で卒業しました。最初は社会学者を目指していたんです。でも紆余曲折あってビジネスをやりたいと思い、在学中に友人と起業しましたが上手くいきませんでした。それで一旦は会社に入ろうと、三菱商事への就職を決めたんです。ただ、大学を8月に卒業してから4月の入社まで時間があったので、その間にマザーハウスという会社で働きました。その頃まだ立ち上がったばかりのベンチャー企業で、バングラデシュで生産したバッグを日本で売っていました。その後、三菱商事に入社したのですが、「何かちょっと違う」と感じました。自分としてはもっと主体的にガンガンやりたかったので、半年くらいで退職してマザーハウスに戻りました。

 マザーハウスには4年間いたのですが、最初の2年は2人の創業者と一緒に会社をゼロから作っているような感じでした。お店で接客や販売もしますし、定期的に届く大量の在庫をひとりで検品したり、在庫整理や配送作業など、8割は単純作業的な仕事です。それだけだと会社全体を良くすることに貢献できていないと感じたので、経理をやったり、途中からは銀行と交渉して資金調達をしたり、マーケティング的なこともやりました。少しずつできることを増やしていって、その2年間で製造小売に関わるほとんどの職能が経験できました。

 残りの2年は、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」というマザーハウスの理念を実現するために、日本で売るだけじゃダメだ、世界に売るということを自分がやっていこうと考えました。まずはハードルが低そうな台湾に行き、現地で代表や社員を雇って4〜5店舗ぐらいまでは出したんです。でも、参画当初に思い描いたほどのスピード感では進んでいないんですよね。台湾で2年やっても黒字転換はできず、このペースではマザーハウスのビジョンを実現するまでにものすごく時間がかかってしまうと、危機感を覚えました。そのとき、これはきっと自分のやり方が間違っているんだと思ったんです。経営の経験もないままに自己流でやってきましたから。

 正しいやり方を知るにはどうしたらいいのかと模索しているとき、たまたま仲の良い友人がユニゾン・キャピタルというファンドで働いていて、ファンドなら総合格闘技のような感じで経営の力がつくかも、と思いました。それで面接を受けたところ、最終面接で「ミスターミニットの海外担当のポジションが空いてるから行かないか」という話がありました。「最初はマネージャーという立場だけど、活躍したら経営者ができるかもよ」ということだったので、行くことを決めたんです。

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