学習理論における「認知論」から「状況論」への転換
宇田川 元一氏(以下、敬称略):長岡さんのご著書を読んで、我々の間には社会構成主義的な思想が通底していると感じています。今日はそのようなお話ができたら、と期待しています。
長岡 健氏(以下、敬称略):僕は宇田川さんのことを知ったとき、「こういう難しい話を、こんな風に易しく話せる人がいたのか」という驚きがありました。社会構成主義や現象学的な話、非合理性についての話はどうしても難しくなりがちですから。
僕の新刊のベースにあるのは「状況論的な学習観」で、なかなか学生や若いビジネスパーソンには通じづらい話です。それをなんとか、宇田川さんのように易しく書けないかという思いが強くありました。
宇田川:読者のために少し説明すると、学習理論においては1980年代に、「認知論」から「状況論」へとパラダイムの転換に近いことが起きました。
「認知論」では、学習を個人の内部で起こるものだと考えます。でも、上手い野球選手がいるのは、そもそも野球というスポーツがあるからで、そのゲームのルールに沿ったパフォーマンスができることが能力になるわけです。だから、どのゲームに参加させられているのかという状況と合わせて見ようじゃないか、というところからスタートしているのが「状況論」です。
長岡:先日NHKで、元プロ野球選手の秋山幸二さんのインタビュー番組をやっていました。彼は、子どもの頃から陸上競技や体操の中で道具を操作しないスポーツはすぐに上達したけれど、道具を操作するスポーツは苦手だったそうです。だから野球では上達するのに時間がかかり、「不器用な選手だ」と言われていたのだそうです。つまり、人間の能力は、環境とのインタラクションの中で上手く発揮できたり、できなかったりするものなんですね。
ビジネスの能力も環境とのインタラクションの中で発揮されます。ただし、ビジネスの場合、スポーツのようにルールが明確じゃありません。例えて言うなら、自分は野球のルールで動こうとしているのに、相手はサッカーのルールで動こうとしていたりするような状態が、ビジネスではよくありますね。また、政治的な駆け引きとして、わざと相手とは違うルールを言い放ったり、自分の有利なルールを無理に押し付けようとしたりする場合もあるわけです。
スポーツ選手から見ると、ビジネスパーソンは不安定で矛盾に満ちた環境とのインタクションを強いられている。スポーツなら途中でルールが変わったり曖昧な判定をされたりすると大問題になりますが、ビジネスパーソンにとってはそれが日常です。不安定で矛盾に満ちた環境下で成長し、能力を発揮していくことは、スポーツでの能力発揮とは、違った難しさがありますよね。