顧客起点の体験デザインは言い続けることから始まる
中島亮太郎(以下、敬称略):前編では、顧客起点の体験デザインのアプローチとして、トリプルダイヤモンドなどに基づいたものを採用し、プロセスも要件定義の前のフェーズを切り出している以外はそこまで特別ではないとのお話をお聞きしました。しかし、その「一般的」なやり方を徹底することも、実際には難しいと感じています。例えば「課題を定義し、リサーチしてソリューションを検証して」というところが適切に行われていなかったり、抜け落ちてしまっていたり。何がこうした違いを生んでいるのでしょうか。
浅沼尚氏(以下、敬称略):それはおそらく「それをやらない限りプロジェクトを先に進めるのは難しいです」と率直に言う人がいるかいないか、組織の中でプロセスとして絶対に欠かせないものだという認識があるかないかの違いだと思います。
中にはやらないことを大きなリスクと認識しない人もいます。「そこに時間を掛けるくらいだったらもっと別のことにリソースを割きたい、時間を掛けずに前に進めたい」と考える人もいます。ビジネス判断としては、やらないということもひとつの判断ですが、リスクとのトレードオフであることを認識する必要はあると思います。ですから、私の場合は「実施しないとビジネスやプロジェクトにおいてこういうリスクが発生する可能性があります」という話を、ビジネスオーナーの立場からプロジェクト実施における課題に置き換えて議論するようにしています。
そういう話をする際には、デザインという観点でリードする人がCDOやCXOのポジションに位置することが大事です。そういう職責を持つ人がいるからこそ、「一般的な」アプローチをきちんと踏みましょうという会話が、自然にできるのではないでしょうか。
根岸慶氏(以下、敬称略):その点、Japan Digital Design(以降、JDD)の場合は、当時の代表取締役CEOの上原さん(高志氏)自らがデザインのトップを採用するという判断をしていたわけですね。
浅沼:そうです。そういった経緯もあり、基本的には「顧客のどんな課題を解決するのか?」がきちんと検証された状態で進めましょうということが、組織文化や前提として共有されています。
根岸:2021年4月以降JDDでは、自社プロダクトでなくMUFGへのソリューション提供という形へ、事業の方向性を転換されていますね。大きい変化だとは思いますが、金融サービスに顧客起点の体験デザインを実装するという観点で、課題は生じないものでしょうか。
浅沼:基本とする考え方やプロセスなど、根本に変更はありません。私やデザインチームのメンバーが、プロジェクトの中で「こういう目的のためにこういうプロセスで進めます」としっかりコミュニケーションをとることで、プロジェクトオーナーと合意を得ながら進められています。
もちろん、もっと共通認識を高めたほうがいいとも思っています。例えば前編でもお話しした「ターゲットをクリアにする」という部分。「顧客は誰か?」と聞くと、プロジェクトによっては明快に定義できていないこともあります。
こういうことは「くどい」と思われるくらいに言い続ける必要があります。ソリューションを検証するフェーズでは「プロトタイプを目的化しない」、最後の開発のところでも「リリースはゴールではなくスタートだ」ということを何度も言っています。地道なアプローチですが、プロダクトに関わるメンバーに大事なことを繰り返し説明するということを行っています。
根岸:MUFG本体の経営層からの支援、交流などもあるのでしょうか。
浅沼:MUFG本体の役員の方々を含め、トップマネジメントの方々と直接コミュニケーションさせていただけるようにもなってきています。例えば「勉強会をやってほしい」と言われることなども増えており、そうした場でも重要なことは、具体的な事例を出しながら体験デザインの重要性を繰り返して伝えることです。
そうした地道な活動が徐々に効果を見せはじめていて、グループ内に賛同してくれる人が増えてきました。やはりいつまでも私だけが言っているだけでは社内での大きな流れにはなりません。トップマネジメントの方々に理解していただき、ご自身の言葉として語っていただくことがおそらく大事なんです。
もう1つ大事だと思うのは、実際にそういう進め方でプロダクトを作り、実績を作ること。「小さな成功をつくる」ことはやはり意識したほうがいいと思っています。我々の場合は前編で説明した「Money Canvas」で1つ実績を作ることにより、「ああ、そういうことって大事だよね」ということを理解してもらうことができました。