「成長」を方向づける評価、組織の壁を越える「バウンダリー・スパナー」の公式化
「自走の地図」の最後の領域が「カルチャー」である。どれほど優れたリーダーシップとプロセスが存在しても、挑戦を支える組織の構造や評価制度が変わらなければ、新規事業は一部の熱狂的な個人の「特別な活動」として孤立し、やがて組織の中で意欲を削がれていく。
ここで最も高い壁となるのが「評価マネジメント」だ。既存事業に適した、過去の成果や数値、再現性をベースとする「処遇を決める評価」をそのまま探索フェーズの初期段階に適用してしまうと、誰もリスクを取らなくなる。
「新規事業の初期フェーズにおいて機能するのは、未来の次の挑戦に向け、仮説の質や学習の深さ、判断の根拠を重視する『成長を方向づける評価』です。現在の人的資本経営の潮流においても、人事の役割は人の価値をデータで捉え、企業価値向上に資する組織改革を推進することへと進化しています。新規事業の立ち上げという、権限のない中での関係構築や数々の障害への対処といった『発達的挑戦課題』を経験した人材を、次世代のイノベーションリーダーとしてどう組織内で評価し、育成していくかという議論が、先進企業ではすでに始まっています 」(大長氏)
さらに、本業のアセットや既存部門の協力を引き出すために欠かせないのが「社内連携」の仕組みである。成功企業の73%が「組織内外にある専門性やスキルを必要に応じて調達できる」と回答している。
この連携を属人的な人脈に依存させず、組織的に成立させる鍵となるのが、複数の部門や組織の内外という「境界」をまたいで立つ「バウンダリー・スパナー(越境人材)」の存在である。停滞する組織では、こうした動きをする人が「あの人はお祭り好きだから」と個人的な評価で片付けられがちだが、自走する組織では、部門間の架け橋となる越境活動を「公式の役割」として任命し、組織のインフラとしてバウンダリー・スパニングをデザインしているのである。
モチベーションをデザインし、既存と新規の枠組みが溶け合う「自走する組織」へ
10番目のアジェンダである「風土醸成」について、大長氏は「結果として自然に生まれるものではなく、入口・途中・出口の仕掛けによって耕すものだ」と強調する。心理的安全性が確保された「レベル1」の土台の上に、試すことが当たり前になり、仮説の更新が日常化する「レベル2(挑戦が自然な状態)」の組織の振る舞いを育てていく必要がある。
その象徴的な事例として挙げられたのが、サイバーエージェントの「あした会議」である。経営陣が土日に丸二日を費やして現場の提案に向き合い、その場で決断を下す姿を社員に示すこと自体が、「この会社では創造的な問題解決に時間を使うことが最も尊い」という強力なメッセージとなり、組織の風土を形作っていく。
「私たちが目指す『自走する組織』のゴールは、単に新規事業の数を増やすことではありません。M&Aで外から芽を買ってくることや、出島を作って隔離して育てることとも違います。全社員が日常業務の中で顧客の『本当の課題』に気づき、本業であろうが新規事業であろうが、垣根なく新しい実験を繰り返す能力を組織の内部に蓄積すること。そのプロセス自体が、次世代のリーダーと未来の経営を育てるのです 」(大長氏)
これからの経営と組織を動かすのは、上からの指示をただ待つトップダウンでも、組織を動かす力を持たない孤立したボトムアップでもない。経営と同じ高い視座を持ち、自分の信念に基づいて現場へ思想を翻訳して落とし込んでいく「次世代のミドルマネージャー(ミドル・アップダウン)」の存在である。

大長氏は最後に、今回提示した「自走地図」は、組織のズレをなくすための「共通言語」であると語りかけた。経営層とミドルマネージャー、そして現場の担当者が同じ地図を指差し、「いま、私たちの組織はどこで止まっているのか」を共通の言葉で語り合えるようになった時、空中戦だった議論は地上戦へと変わり、組織の本当の対話と変革が始まる。2026年7月に刊行される同氏の著書『自走する新規事業のつくりかた 手持ちのリソースで成果を出し続ける組織のしくみ』(翔泳社)を共通言語のインフラとして活用し、自社の現在地を診断することから、次の一手へ向けた第一歩を踏み出してほしい。

