投資家ニーズの高い4大テーマにどう応えるか
では、企業は限られたリソースの中で、どの領域から開示の高度化を進めるべきなのだろうか。今回の調査では、日本の資本市場に関与する機関投資家へのインタビューを新たに実施し、投資家が「開示が不十分である」と感じているニーズの高い4つのテーマを特定した。吉田氏は、「企業が開示を停滞させている『活用余地のある領域』と、投資家が求めるテーマには明確な重なりがある」とし、具体的な4大テーマとSASBの活用方法を解説した。

1:イノベーションに関する機会の開示
投資家は環境規制や顧客志向の変化に対応した新市場の創出額に注目しているが、多くの日本企業は製品開発の定性的な説明に終始している。SASBの「製品設計とライフサイクル管理」カテゴリーを参照し、環境配慮型製品の収益額や収益比率などの定量的な実績値を経年変化とともに開示することが求められる。
2:人的資本投資に関するリスクと機会の開示
単に人事施策の実施や女性管理職比率を並べるだけでは投資家の意思決定には活きない。高度人材の確保・定着が将来の成長機会や研究開発能力とどう結びついているのかを、エンゲージメントスコアや離職率の推移とセットで事業戦略の文脈から説明することが必要である。
3:AI活用に関するリスクと機会の開示
データセンターの電力消費拡大に伴う製品のエネルギー効率や、AIにおけるデータガバナンスへの関心が高まっている。情報セキュリティ方針の有無だけでなく、データの分離や利用範囲のリスク管理が事業設計にどう組み込まれているかを明確に伝えるべきである。
4:サプライチェーンに関するリスクの開示
地政学リスクや環境規制による調達寸断への懸念に対し、日本企業は紛争鉱物対応などの社会的影響の開示が中心である。自社にとって重要な原材料を網羅的に特定し、代替材料の開発比率や調達先の分散化方針など、ビジネスモデルの強靭性を定量的に示すことが投資家から期待されている。
コンプライアンスを越えて──「意味ある開示」へ向けたミドルマネージャーへの示唆
「SSBJ基準においては、SASBの指標について『適用可能性を考慮しなければならない』という規定になっています。つまり、適用できない合理的な理由があれば使わないという選択も可能であるのが、難しいところです」と田原氏は適用判断における余地を指摘する。
しかし、投資家が求めているリスクや機会の本質は、まさにSASBスタンダードが規定している指標そのものに他ならない。形だけのコンプライアンス(法令順守)対応として後ろ向きに取り組むのか、あるいは投資家との建設的な対話(エンゲージメント)のツールとして前向きに活用するのかによって、企業の資本市場における評価は大きく分かれることになる。
DX(デジタルトランスフォーメーション)や新規事業推進、マーケティングを担うミドルマネージャー層にとって、サステナビリティ開示はもはや「広報部門や環境管理部門の仕事」ではない。自社の事業が中長期的に生み出す提供価値や、サプライチェーンの強靭性を定量的なデータをもって証明することは、事業戦略そのものである。
田原氏は最後に、次のようなメッセージでセミナーを締めくくった。
「せっかく多大なリソースを割いて法制度への準備を進めるのであれば、投資家にとって意味のある開示、すなわち自社の企業価値向上につながる開示を行わなければ損です。企業は投資家ニーズの高い領域を優先的に見極め、SASBスタンダードを共通言語として使いこなしながら、事業のレジリエンス(回復力)とイノベーションの機会を力強く発信していくべきです」(田原氏)
