日本企業の中期経営計画が機能しない理由──「予測」から「能動的推論」への転換
Biz/Zine編集部 栗原茂(以下、栗原):日本の大企業では経営企画部門を中心に中期経営計画(中計)が作られますが、変化の激しい現代においては「数値を積み上げても意味がないのではないか」というモヤモヤ感を抱えるミドル層が増えています。安川さんはこの状況をどのように捉えていますか。
安川新一郎氏(以下、安川):前提として知っておいていただきたいのは、「中計」や専任の「経営企画部門」がこれほど強固な権限を持って独立しているのは、日本企業特有の現象だということです。海外ではCFO(最高財務責任者)傘下に財務戦略やIRなどと協力し、投資家向けストーリーを策定するチームとして企画機能が存在するのが一般的です。
一橋大学経済学部卒業、野中郁次郎ゼミ。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経てソフトバンクに入社し社長室長、最年少執行役員本部長などを歴任。2016年にグレートジャーニー合同会社を創業。スタートアップ支援や未来の人材開発を行うほか、官民のDX・構造改革にも参画。藤田医科大学客員教授/公益財団法人Well-being for Planet Earth特別参与。著書に『BRAIN WORKOUT』(KADOKAWA)、『未来思考2045 危機と分断、そしてAIは世界をどのように変えるのか?』(ダイヤモンド社)がある。
従来の日本の中計は、高度成長期のような右肩上がりの「未来予測」を前提にしていました。しかし、予測モデルが対象とする外部環境そのものが激変する時代に、数字の調整だけに終始する予測型アプローチは機能しません。
栗原:計画の精度をいくら上げても、前提となる事業環境が揺らげば一瞬で無効化してしまうわけですね。
安川:そのとおりです。だからこそ求められるのが今回の書籍のテーマである「未来思考」への転換なのです。未来思考とは、脳科学や生命科学で注目される「自由エネルギー原理」や「能動的推論(Active Inference)」に基づいた生存戦略でもあります。
生物や企業などのエージェントは、外界の感覚データと自分の内部モデルとの「予想誤差(サプライズ)」を最小化することで生き残ろうとします。経営に当てはめれば、外部環境の変化に対して自らの内部モデルを愚直に修正するか、あるいは自らの行動によって外界に働きかけ、望ましい未来を引き寄せるかのどちらか、もしくは両方です。単に環境変化を「受動的に予測する」のではなく、「能動的な推論と行動」によって危機を回避し、新たな市場を切り拓く姿勢こそが未来思考の本質です。
メッシ選手のプレースタイルと潜水艦の操縦に見る「経営における生存戦略」
栗原:能動的推論に関してはあまり耳慣れない読者も多いと思いますが、具体的にはどのような内容なのでしょうか。
安川:身近な例で言えば、サッカーのリオネル・メッシ選手のプレースタイルが分かりやすいでしょう。彼は試合時間の約半分を「歩いて」過ごしています。しかし、ただ休んでいるのではありません。歩きながら敵味方の位置、身体能力の癖、スペースの生まれ方を観察し、脳内で確率的な予測モデルを愚直に更新し続けているのです。そして「ここだ」と確信した瞬間にだけスプリントをかけ、劇的なゴールを生み出します。
また、エージェントの一つとしての企業の経営は「潜水艦の操縦」にたとえることも可能です。暗い海の中で、経営者は潜水艦のソナーのように、限られた知覚情報からの観察だけを頼りに、限られた選択肢の行動(舵を切る、潜航するなど)を取らなければなりません。しかも、舵を切ってから船体が実際に動き出すまでには時差(遅効性)があります。
栗原:確実な情報が揃うのを待っていたら、魚雷に当たってしまうわけですね。
安川:まさにそうです。大企業で学習性無力感が広がるのは、「完璧な予測」を求めすぎて動けなくなっているからです。さきほどはメッシ選手の例を出しましたが、ワールドカップの決勝トーナメントでの「日本対ブラジル戦」でも両チームの未来思考の差が現れました。後半のアディショナルタイムに逃げ切ろうとして防戦一方になるのか、「あと2分あれば崩せる」と勝ちに行く発想を持てるか。未来思考とは、限られた情報の中で構造を見抜き、アディショナルタイムのわずかな時間に自ら行動を起こして、歴史を変えるための思考法なのです。



