“怪しい橋”は誰も渡らない
「正しいデータ」で「正しい分析」を実施しても、その分析結果を分かり易く説得力を持って表現できなければ、無意味になることがあります。アクションをする人に伝わらないからです。「表現する」とは分析結果を資料としてまとめたアクションとの間にかける橋のようなもの。シッカリした橋でないと誰も渡らないのと同じように、シッカリ表現しないとアクションは起こり難いのです。
30歳前後のころ私には苦い思い出があります。ちょうど分析が面白くなった頃です。学術論文や専門書を読みこなせ、自分で新しい数理モデルを作れ、色々な分析手法を覚え、ツールを使えるようになり、自分でプログラミングできるようになった頃です。極端に「ステップ3:分析する」にフォーカスし失敗しました。誰もやったことのない分析手法で分析し、その結果アクションへ繋げず失敗。他人から見たら奇々怪々です。凄そうだけど理解されない分析結果です。私は周りがバカなのではないかと勘違いしていました。冷静に考えてみればバカは私でした。理解できるように表現できなかった私の責任です。
「表現する」とは分析結果とアクションの間にかける橋のようなもの。怪しい橋は誰も渡らない。ハッキリと「この橋は大丈夫だ!」と思わせないと渡りません。では、どのようにしてシッカリした橋を作れば良いのでしょうか?次の3つのことを実施します。
- メッセージボードを完成させる → 橋のコアとなる素材
- ストーリーボード(資料の骨子)を作る → 橋の設計
- ストーリーボードに従って資料を作成する → 橋作り
次のページから、それぞれについて説明していきます。