気候変動政策の最前線にいながら感じたおおきな課題
樫田光氏(以下、敬称略):僕は、吉本さんの一歩ずつ前に進んでいく現実的な部分と、その先にある大きなビジョンとのバランス感覚に感銘を受けていて、この対談を楽しみにしていました。まずは、これまでのキャリアと今やっていることを紹介してもらえますか。
吉本翔生(以下、敬称略):ありがとうございます。僕は大学院で気候変動政策について学び、卒業後はシンクタンクに入りました。最初は全く関係ない分野の仕事をしていたのですが、2〜3年目くらいからは大学院時代の人脈で気候変動関連の案件を取ってくるようになりました。当時、そのくらいの若手で案件を取ってくるというのは珍しかったので評価もされたのですが、だんだんとやりがいを感じられなくなってきて(笑)。
樫田:どうしてですか。
吉本:毎年COP(気候変動枠組条約締約国会議)にも参加していましたが、なかなか議論が進んでいかない。しかもUNDP(国連開発計画)やUNEP(国連環境計画)、世界銀行など、何十とある国際機関が気候変動に関する同じような補助金を出しているんです。そして横の連携がない。これは日本で国交省と農水省と環境省と経産省がバラバラに似たような補助金を出しているのと同じ状況です。
このような状況を、実際に課題を抱えている途上国の人たちは知りません。ここに情報のギャップがあって、補助金コンサルみたいな人たちが暗躍します。僕も補助金コンサルをやっていて、自分でやりながら「これってどうなんだろう」と感じていました。
こういう無駄は、お金だけでなく人や情報でもありました。例えば気候変動のためのシーズリストや技術リストなんかをUNEPが作り、UNDPが作り、世銀が作り……とやっているけれど、全く連携していないという。
樫田:なるほど。
吉本:今でもおぼえていますけど、2016年のCOPに出るためにマラケシュのホテルに泊まっていたときのことでした。夜中2時くらいかな、バッと起き上がって、「この状況をどうにかしよう」と、急に思い立ちます。ヒト、モノ、カネがバラバラな状況じゃ駄目だ、まずはこれをひとつのデータベースにしよう、それだけでもだいぶ良くなるはずだ、と。
それを所属していたシンクタンクの上長に提案したところ「いいね」とは言われたのですが、「空いている時間でがんばって」と。戦略コンサルやりながら、空いた時間ってなかなかないんです。ということで、退路を断ち起業することにしました。