大谷翔平や安藤忠雄にみる「神々と踊る」境地
そして、「天国に宝を積むために、できるかぎり他に与え」ねばならない。つまり、無償の愛である。大富豪が晩年に慈善事業に勤しむように、執着のない本物の成功者にとって必要以上の莫大なお金は不要だ。自分が生きていける分だけあればいい。その他は、社会のために寄付・投資する。
この精神が健全な循環を生む。お金にしてもモノにしてもエネルギーにしても、宇宙は常に循環している。この原理原則を踏み外し、私利私欲や社内の保身で資産や地位を積み上げても、その重圧に精神が崩壊し、不幸になっていく。不必要なモノへの執着を手放せない状態だからだ。精神が自由であるためには、執着を捨ててお金・モノ・エネルギーを循環させる必要がある。そのことで、健全で幸せな状態になれる。
成功の第四条件、それは、執着を捨てて、お金・モノ・エネルギーを回す、循環させることだ。あるいは、「フロー」を意識することだと言い換えてもいい。
成功とは「神々と踊ること」だ。それは、魂の赴くままに流れ、「フロー」に没入すること。AI時代には特に、そのことが重要になる。AIは「神々と踊ること」ができない。「精神の自由」を堅持する者だけが「神々と踊る」のだ。
成功とは、その刹那であり、プロセスであり、その道である。それは、楽しくて仕方ないこと。時間を忘れて没頭し、夢中になることだ。たとえば、メジャーリーガーの大谷翔平選手は、私に言わせれば、神々と踊っている。野球が楽しくて仕方がない。苦しいことも辛いこともあるだろうが、野球のために全身全霊を傾けること自体が楽しいから、気づけば時間が経つのも忘れて白球を追いかけていた。少年時代をそう過ごし、大人になってもその延長線上で生きている。それがプロであり、成功するとはそういうことだ。「精神の自由」が「神々と踊る」のだ。
建築家の安藤忠雄氏はいう。
「人生に“光”を求めるのなら、まず目の前の苦しい現実という”影”をしっかり見据え、それを乗り越えるべく、勇気を持って進んでいくことだ。
<中略>
何を人生の幸福と考えるか、考えは人それぞれでいいだろう。私は、人間にとっての本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う」
出典:安藤忠雄『建築家安藤忠雄』
「光」とは、安藤忠雄氏にとって「遠く見据え」る神聖なものだ。「人間にとっての本当の幸せは、光の下にいることではない」。永遠に辿り着かない彼岸、その神聖な高みを目指し、無我夢中に戦う。その関係性の中に意味が生まれ、「人生の充実がある」。
大谷翔平選手も、決して辿り着かない神聖な高みを見据えている。そこに向かって懸命に走っている。それが楽しくて仕方ない、好きな「道」なのだ。私には、その姿が「神々と踊っている」ように見える。
ネット広告運用も、好きになったら楽しくて仕方ない。打ち手を変更し、その結果の検証をする。結局、いつもリスクを背にして戦う。だが、それが楽しい。
お金の運用も会社経営も同じだ。プロは「リスクを背にして仕事をする」。大谷翔平選手も同じだろう。安藤忠雄氏も同じだ。そして、「結果がすべてだ」。誰かの真似をして学ぶ時期もあるだろうが、技を磨き心を研ぎ上げ、その結果、オンリーワンでユニークな独自のスタイルになっていく。この連載で何度も触れている「フィールド・インディペンデント」とはそういうことだ。
成功とは「神々と踊ること」だ。成功とは、その刹那であり、プロセスであり、道である。リスクを背にして仕事すること。結果がすべてと知ること。そして、フィールド・インディペンデントになってしまうこと。
誰かが容易に真似できるなら、再現性があってAIにもできてしまう。IQ(知能指数)で簡単に処理できることなら、もはやAIの独壇場だ。そんなものはプロの仕事でもなんでもないし、成功の定義から大きく外れる。
IQが高い、あるいは偏差値が高いというだけなら、むしろ恥ずべき時代になった。他にユニークな個性がないなら、なおさらだ。それがAI時代である。
SQ(精神的知能)を高めて「神々と踊ること」、フロー状態になること。それが「幸せに成功する条件」の基本だ。
『ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)』という映画があった。主人公ジョン・ダンバー(ケビン・コスナー)は、単に狼と戯れていたのではない。キリスト教的な「一神教の絶対的な神(God)」とは異なり、ネイティブ・アメリカンの信仰(アニミズム)における「神」や「精霊」は、自然界のあらゆるものに宿るとされる。彼らにとって、狼と調和し、共に生きる(=踊る)ということは、自然界に満ちる聖なるスピリット(神々)と一体になり、調和して生きることだ。それは、リスクを背にして生きることであり、結果がすべてと知ることであり、自らの魂の赴くままに、フィールド・インディペンデントになってしまうことなのだ。
「神々と踊る(Dances with Wolves)」とは、人間の小賢しいエゴ(自我)を超越し、宇宙や大自然の大きな流れ(フロー状態)と完全に調和することに他ならない。文明の傲慢さを捨て去り、「大自然に宿る聖なる息吹(神々)と波長を合わせ、人生というダンスを共に踊る境地」に達することを意味する。
ポジティブ心理学の大家、ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)は、人間が何かに完全に没頭し、時間の感覚を忘れて高いパフォーマンスと精神的満足を得ている状態を「フロー(flow)」と名付けた。彼の書籍『Flow』から重要な一節を引用しよう。
「What I “discovered” was that happiness is not something that happens. It is not the result of good fortune or random chance. It is not something that money can buy or power command. It does not depend on outside events, but, rather, on how we interpret them. Happiness, in fact, is a condition that must be prepared for, cultivated, and defended privately by each person.」
出典:Mihaly Csikszentmihalyi『Flow: The Psychology of Optimal Experience (Harper Perennial Modern Classics)』
著者意訳:私が「発見」したことは、幸福とは偶然に起こるものではないということです。それは幸運や偶然の産物の結果でもありません。お金で買えるものでも、権力が命じて手に入るものでもありません。幸福は外部の出来事によって決まるのではなく、むしろ私たちがそれらをどう解釈するかによって決まります。実際、幸福とは、一人ひとりが自らの手で準備し、耕し、そして心の中で守り抜かなければならない状態なのです。



