高度成長期に“ティール的”だった日本企業がオレンジに変化した経緯
宇田川元一氏(埼玉大学 人文社会科学研究科 准教授、以下敬称略):前回、組織論研究の分野における組織デザインの議論は1970年代に終わっているという話をしましたが、その後の1980年代に注目されたのは組織文化論です。具体的に何が注目されたかというと、日本企業なんですよね。80年代にポーターの競争戦略論が出てきますが、それはアメリカが日本と競争するには、という時代の流れの中で出てきているんですよ。それまでのアメリカの経営のやり方が相対化され、組織を動かしているのはロジックや情報処理の仕組みなどとは違うものではないか、と考え始めたわけです。日本の経営者たちはMBAをとったエリートではないし、朝はみんなで体操をして昼は社歌を歌っているような連中なのに、なぜスマートな我々が負けるのか――、そういうところから日本の企業に注目が集まったんですね。
その頃に注目されていたのはホンダやソニーといった企業ですが、そういう企業って、当時はわりとティールっぽいんですよ。
嘉村賢州氏(特定非営利活動法人 場とつながりラボhome’s vi 代表理事 ファシリテーター / 『ティール組織』解説者、以下敬称略):ソニーにいらした天外伺朗さんなんかは、すごくティール的ですよね。
宇田川:そうそう。当時はティールっぽかった企業が今はオレンジっぽくなっているわけです。ということは、『ティール組織』に書かれているような、組織のレベルがだんだん高次なものに移行していくという考え方は、ちょっと違うかなと……。現実には、ティールっぽかったものがオレンジへ落ちていくという、逆のことが起きているんです。
なぜそうなるのかというと、それは近代のひとつの罠みたいなもので、汎用性を求めるからですよね。さっきはフレデリック・テイラーの話をしましたが、彼は労働者が突然来なくなったりしても生産が止まらないように、人の互換性を高めるシステムを作ったわけです。そういう意味で、オレンジの組織というのは、サラリーマン社長でも経営できる汎用的な仕組みとも言えるんじゃないか。だから、「オレンジだからダメ」というのではなく、オレンジになっていく必要があったことを認めつつ、その必要性を問い直そう、ということだと思うんです。ある種の相対化、問い直しのロジックとしてティールというものを提示していると考えると、分かりやすいのではないでしょうか。