真面目に役割を全うすることで起こる組織の機能不全
宇田川氏は2024年に刊行した『企業変革のジレンマ──「構造的無能化」はなぜ起きるのか』( 日経BP 日本経済新聞出版)の背景にある問題意識から話を始めた。
変革というと一般的にイメージされるのは、三枝匡氏の『決定版 V字回復の経営 2年で会社を変えられますか? 』(KADOKAWA)に代表されるような、経営危機に陥った企業の復活劇である。しかし、宇田川氏はそこに違和感を覚えるという。自身がアドバイザーを務める企業の状況や周りで見聞きする情報から、V字回復が必要なほど業績悪化に陥っている企業はそれほど多くないと感じられるからだ。企業の危機を救う変革はもちろん必要だが、それとは違う変革について考えなければいけないという思いが『企業変革のジレンマ』の発端になっているのである。
企業においてV字回復が必要なほどの危機を、宇田川氏は人間の病状に例えて「急性期」と呼ぶ。一方、氏がフォーカスするのは組織の「慢性疾患」の状態である。急性期の患者を救う鍵となるのは、手術など技術的な介入だ。しかし、慢性疾患は医者の技術レベルが高くても解決できない。患者本人が日々の習慣を変えることで寛解(かんかい)状態を目指すほかないのである。
そのような慢性疾患の状態にある組織の例として、宇田川氏はロンドンの地下鉄のキングス・クロス駅で起きた火災の事故を紹介した。
あるとき、駅の切符売り場の駅員が燃えているティッシュペーパーを構内で発見し、それを消した。しかし、それ以上の行動は起こさなかった。後からの調べでは、木製のエスカレーターに投げ捨てられた火のついたマッチが火元だったとされている。しかし、駅員は火種を探すことはせずに自分の仕事に戻ったのだ。
火はだんだんと燃え広がるが、駅の保安要員は「自分の目で確かめてから通報せよ」という組織のルールに従い、現場を見に行くことに時間がかかっているうちに駅中に煙が蔓延してしまう。
見かねた警察官が出火から22分後に通報し、やっと消防隊が到着する。しかし、消防隊には(おそらく過去の経験から)現地の消火栓ではなく自前の消火栓を使うというルールがあったために、消火活動が始まるまでにも時間がかかった。そうこうするうちに、誰も緊急停止をさせなかった電車が駅に到着し、チューブ状になっている地下鉄駅構内に大量の酸素が送り込まれて火は爆発的に燃え広がる。結果として、31名の死者を出すこととなった。
宇田川氏はこの話の中で「誰ひとり、さぼっていない」ということに注意を促した。全員が自分の職務を真面目に全うした結果、組織全体としては無能な状態に陥っていたのだ。
