失敗から学んだ「ユーザーニーズを捉えていたのか」という自戒―そこから、新事業が始まった・・・。
津嶋:
それから3年後、日本に戻ってからは?
清田:
戻ってきて4年位しても思ったほど売れなくて、赤外線カメラから撤退することになりました。ちょっとそのときに辞めようかなって思っていましたね。良い装置を作ったのに「売れないのは営業のせいだ」と主張して転職も考えました。ちょうどそのときに上司から「そう言わずに、もうちょっと頑張れよ」と。私の顔を見ていると辞めそうだなって思ったみたいで。「もうちょっと辛抱して。好きな事がやれるようにするから」と引き止めてくれたんです。
その後、色んな部品の設計に携わったりしたんですが、やっぱり部品じゃなくてトータルのモノづくりをしたいなっていうがBioStation CT開発に向かう、自身のきっかけです。
赤外線カメラが売れなかったのは営業のせいだという主張はしていましたが、やっぱり世の中を見てなかったということに気づき、ユーザーニーズを捉えつつニコンからの発信をしようと。そこで行きついたのが、細胞培養観察装置でした。