なぜ「外部」と「内部」という経営学の軸の変遷は起きたのか
栗原:本書の第Ⅱ部では、1960年代から2000年代にかけての「理論化」の歴史が語られています。マイケル・ポーターの「外部環境分析」がなぜあれほど支配的になったのか、その背景を教えてください。
琴坂:ポーターの理論が流行した最大の要因は、1970年代の事業環境の激変です。それまでの高度成長期には、市場全体が伸びていたため、とりあえず参入して計画的に供給すれば利益が出せました。しかし、二度のオイルショックによって経済が停滞し、産業内での熾烈な「競争」に勝ち残らなければ生き残れない時代が到来したのです。
ここで登場したのが、ポーターの「ファイブフォース分析(5つの力)」です。彼は産業組織論という経済学の知見を戦略論に応用し、収益性は「産業の魅力度」と「その中での位置取り(ポジショニング)」によって決まると説きました。
それまで、企業がどう行動しても産業構造は変えられない「所与のもの」と考えられていましたが、ポーターは移動障壁を築くことで自社に有利な構造を選択できる可能性を示しました。これが、不確実性に直面していた実務家から圧倒的な支持を集めた理由です。
「ホンダエフェクト」が揺さぶった外部環境至上主義
栗原:しかし、その後、戦略論の焦点はジェイ・バーニーらの「内部資源(リソース・ベースド・ビュー)」へと移り変わります。このパラダイムシフトは何がきっかけだったのでしょうか。
琴坂:決定的な契機となったのは、日本企業の台頭です。1980年代、ホンダやトヨタなどの日本企業は、ポーターのフレームワークが前提とする「安定的で明確な産業境界」をイノベーションによって次々と塗り替えてしまいました。
リチャード・パスカルが明らかにした「ホンダエフェクト」のエピソードは象徴的です。BCG(ボストン コンサルティング グループ)が「規模の経済を活かした計画的戦略の勝利」と分析したホンダの米国進出ですが、実態は「大型バイクでの失敗」から偶然生まれた「スーパーカブのヒット」という創発的なものでした。
この「現場の学習能力」こそが競争優位の源泉ではないかという問いが、資源ベース理論の興隆を後押ししました。業界構造がどれほど魅力的でも、その中で他社が真似できない「価値があり、希少で、模倣困難な資源(VRIO)」を持っていなければ、持続的な利益は得られません。こうして、戦略論の主役は「外部環境」から「内部資源」へと大きくシフトしていったのです。
