40歳での抜擢。人事一筋からタイ子会社社長へ
宮森千嘉子氏(以下、宮森):まずは平井さんのこれまでのご経歴と、現在どのようなミッションに取り組まれているのかをお伺いできますでしょうか。
平井素子氏(以下、平井):入社から30年、積水化学でずっと人事を歩んできました。元々営業志望で「海外に行きたい」とずっと言い続けていたのですがなかなか叶わず、研究所や工場の人事を担当していました。
40歳になり、「もう海外赴任のチャンスもないかな」と思い始めていた頃、タイの工場立ち上げプロジェクトに参加することになったのです。そこで約7年プロジェクトに携わり、現地のタイ子会社の社長も務めました。
その後、2020年に人事に戻り、現在は高機能プラスチックスカンパニーの執行役員 人材開発部長として、グローバルリーダー育成などを推進しています。
宮森:人事がキャリアのコアにありつつ、タイでの新規立ち上げという大きな挑戦をされたのですね。そのご経験は、平井さんにどのような影響を与えましたか。
平井:私の職業人生の中で、本当に宝物のような期間だと思っています。人事という分野だけでなく、メーカーにおける「ものづくり」の最初から最後まで、経営の視点から携わることができたからです。
高機能プラスチックスカンパニーは海外売上比率が7割を占め、「グローバルで勝たなければ持続できない」という厳しい環境にあります。ずっと国内の人事をやっていては得られないような「複眼的な視点」を得られたことが、現在のミッションに直結する何よりの財産ですね。
日本式は通用せず。現地カルチャー無視のマネジメント
宮森:タイの工場立ち上げは、具体的にどのような状況からスタートしたのでしょうか。
平井:私自身、事業の立ち上げも海外駐在も初めてでした。最初は現地の日本人とタイ人を合わせて6人ぐらいからのスタートで、そこから最終的に、約100人規模の会社を2つ立ち上げることに携わりました。
宮森:まったくのゼロからのスタートだったのですね。その過程ではご苦労も多かったのではないですか。
平井:ええ。最初は事業を立ち上げることに無我夢中で、現地のカルチャーを完全に無視していました。わからないことがあったら、「日本でこうしていたから、こうしよう」と、日本のやり方をそのまま持ち込んで意思決定をしていたんです。
最初の2年くらいはずっとそれで進めたのですが、事業が立ち上がり製造・販売を始めた頃から、市況影響から事業自体が赤字になってしまい大変な状況に陥りました。業績回復を目指す中で、あらためて組織や人の力をどう活かしていくか向き合うことになりました。
宮森:日本のやり方がそのままでは通用しなかったのですね。
平井:たとえば、人事制度を一つ作るにしても、日本でやっていた「成果主義」をタイにそのまま持ち込もうとしました。現地のスタッフは私の指示どおりに制度の導入を進めるのですが、その制度の背景や意味を理解していないため、まったく定着せず、タイ人スタッフの離職にもつながってしまいました。2〜3年経ってマネジメントの壁にぶつかり、自分のやり方を根本的に見直さなければならないと痛感したのです。
