未来は予想できる
ずいぶん長くなってしまったけど、以上が本書の述べる仮説だ。生命とは「必然的な不可能」であり、ありえないような偶然が必然的に積み重ねられ、今に至る。時計を巻き戻しても、細部が異なるかもしれないが、必ず同じような進化が起こる。それはテクニウムでも同様で、時代の段階が進むごとに、生まれるべき発明は生まれるべくして発明される。
本書はテクニウムが生命の延長であり、言語を介して発展したと考えている。
生命がテクニウムを生じる水準の言語を操るまで進化したことも、歴史の必然だ。歴史をやり直しても必ず知性は発生し、それは必ず人間のカタチをしている。その時間軸の人類もまた宇宙船をつくり、インターネットを生み出す。
進化に「必然」があることの重要性
もし未来のカタチが完全な偶然に支配され、これを縛るものが物理法則しかないとすると、未来を予想することは非常に困難な仕事だ。「ありえない可能性」は排除できても、ありうる未来は偶然の数だけ多くなるから、結局のところ起こるまでわからないことになる。
ところが本書は、これまでの生命の進化やテクニウムの歩みは「必然」であるとする。ということは、未来のカタチには、少なくとも大まかな「正解」があり、予測を突き詰めてこれを追い求めれば、正しい未来予測をすることも可能なことになる。これは心強い仮説だ。
本書は「複製する分子」から「インターネット」まで続く、生命とテクニウムの進化の歴史を振り返ってきた。それでは今後テクニウムの進む方向とはどこなのか。本書予想に基づくテクニウムの未来、テクニウムのもたらす未来は、次の記事で考えてみる。
真の発明者は誰なのか
ところで本書は、イノベーションやテクニウムの順番には固有の決められた順番があるとした。すると、これを生み出す人間とは一体何者なのだろうか。
テクノロジーが普及したとき、「実は私が先に発明していた」「私が真の発明者だ」と名乗る人物が出てくることは珍しくない。おそらく本当にそうなのだろう。ベルやグレイが電話の発明をする前に、すでに3人が動く電話を作っていたことは本書の紹介する通りだ。
しかしその時間軸における「真の発明者」が誰であれ、イノベーションの順序が予め決められたものならば、その人の役割とは一体何なのだろう。
これについて本書は明確に次のように述べている。
このテクノロジーの発明には方向性や傾向があるということだ。その傾向とは、発明した人間からは独立したものだ。
発明家というのは起こるべくして起こる発明を伝えるパイプ役ということになる。誰でもとは言わないが、誰もが発明家になりうるのだ。
「パイプ役に過ぎない」とはなんだか身も蓋もなく聞こえてしまう。ただしその一方で、イノベーションの「抽象系」の順序は必然として定められているものの、その「表現型」は、生物であれば偶発性、そしてテクニウムであればこれを生み出す人間の手に委ねられている。本書は次のようにも語っている。
誰でもティーンエイジャーになることは必然的だが、どういう10代になるかは(中略)その人の自由意思による選択に支配される。