なぜ新規事業は「議論が空転」するのか。価値観のズレを埋める“対話”の重要性
新規事業の現場には、実に多様な人たちが関わります。アイデアを実装するエンジニア、顧客に届ける営業、収益性を見極める経営層──それぞれが異なる価値観や専門性を持ち、それぞれの言語でプロジェクトに向き合っています。そのため、同じ目標に取り組んでいるはずなのに、なぜか意図や考えがかみ合わず、議論が空転してしまうことも少なくありません。
新規事業は、不確実性の高い未来に向かって共通のゴールを描いていく営みです。その過程では、何が正解かわからない状況の中で、立場の異なる人たちが互いの認識をすり合わせ、納得を重ねながら前進していく必要があります。だからこそ重要になるのが、「対話の場」をどう設計するかということです。
特に構想段階では、アイデアがまだ曖昧で、うまく説明しきれないことがたくさんあります。こうした柔らかい段階の思考を、どうすればチームで共有できるのか──その鍵となるのが「見える化」です。スケッチ、ワイヤーフレーム、フローチャートといった視覚的なアウトプットは、「共通言語」となって関係者の間に自然な対話を促し、思考を揃える起点となるのです。
デザイナーには、その「対話の場」をつくるために、言葉にしきれない思考を翻訳し、異なる立場をつなぎ、対話の中から新たな視点や価値を引き出す力があります。そうした創造的なコミュニケーションの土壌を整えることが、新規事業におけるデザインの大きな役割の一つと言えます。
では、異なる価値観や専門性を持つ人たちが関わる新規事業開発において、どうすれば「共通理解」を築けるのでしょうか。私が重要だと考えているのは、「翻訳者」の存在です。
抽象度の高い議論を可視化する。デザインによる“翻訳”の意義
それぞれのメンバーが正しい視点を持っていたとしても、使う言葉や判断基準が異なれば、意図がうまく伝わらず、議論がすれ違ってしまうことは少なくありません。そんな場面で、デザイナーは「翻訳者」として機能できます。そもそもデザインという営み自体が、異なる視点や要素をすくい上げ、共通のかたちにまとめていくプロセスです。デザイナーは日頃からそのような仕事をしているため、自然とその能力が備わっているとも言えるでしょう。
デザイナーは、ユーザーの感情や行動、技術の制約、ビジネスの目的といった多様な要素を同時に扱いながら、関係者の理解と合意を支える「共通言語」をつくりだします。しかし、もちろんデザイナーは万能な存在ではなく、すべての専門領域に精通しているわけではありません。だからこそ、デザイナーは一人ひとりのステークホルダーと丁寧に対話を重ね、「どのような視点でこの事業の価値を捉えているのか」を理解し、それを他のメンバーにも伝わるように翻訳していくのです。
こうした「翻訳」をサポートするのが、スケッチやワイヤーフレーム、ストーリーボードといったビジュアルツールです。抽象度の高い議論を「目に見えるかたち」に変えることで、共通理解の醸成を促します。
たとえば、プロダクトデザインの現場では、アイデア段階のラフな「スケッチ」を描けば、マーケティングチームと「市場のニーズやトレンドと合っているか」を確認するきっかけになります。また、画面設計や操作フローを示す「ワイヤーフレーム」があれば、エンジニアと「技術的にどの部分に難しさがあるか」といった議論がしやすくなります。このように、曖昧なアイデアを可視化することで、関係者間の認識の「ズレ」が明らかになり、より早い段階から本質的な議論を始められるのです。
また、「見える化」は有形のデザインだけではなく、サービスデザインのような領域でも機能します。たとえば、「カスタマージャーニーマップ」を使うことで、あるタイミングでの顧客の不安や期待といった感情の流れを可視化すれば、「技術的には可能だけれど、ユーザー体験としてどうか」といった観点からの議論がしやすくなります。その他にも、「バリュープロポジションキャンバス」は、顧客のニーズと自社製品/サービスの提供する価値にズレがないかを、一枚の図として整理し、議論するために有効です。このようなビジュアルを活用したフレームワークは、多くの専門書籍が出ていますので、興味のある方はぜひ調べてみてください。
世の中には多種多様なビジュアルツールがありますが、大切なのは、それらが議論の土台となる視覚的な「共通言語」として機能し、関係者の思考のズレや理解の抜け漏れを浮き彫りにすることです。言葉でのコミュニケーションを補完し、関係者たちの認識を重ね合わせることで、新規事業の推進に必要な共通の視点を育てます。デザインの力は、まさにこうした「翻訳」の営みの中にも生きているのです。
