なぜ人的資本経営の限界を突破する「AI資本経営」が必要なのか
冒頭、ストックマークの林達氏は、従来の「人的資本経営」にAIを組み込む、新たな経営概念「AI資本経営」を提唱した著書『CEOのためのAIの教科書 「AI資本経営」を実現する90日ロードマップ』を紹介した。
「AI資本経営」が求められる背景にあるのは、日本の製造業が直面する「2040年問題」だ。リクルートワークス研究所の予測[1]によれば、2040年には約1,100万人もの労働供給が不足する。特に熟練技能者の引退が相次ぐ中、組織の競争力の源泉であった「判断ロジック(暗黙知)」が、形式知化されずに消失しつづけている現状がある。
「今、製造業の経営者が直視すべきは、単なる労働力不足ではなく、熟練者のノウハウが会社から消えていく『組織知の欠損』です」と林氏は警鐘を鳴らす。2040年に1,100万人超の労働供給が不足し、熟練者の退職に関する深刻な歪みが進行中だ。さらに指導者不足(65.9%)により、熟練者が培った「暗黙知」が継承されず消失する危機に直面している。多くの日本企業が取り組むAI活用は、既存の業務にAIを少しだけ付け加える「ふりかけ」のようなアプローチに留まっている。しかし、それではわずかな効率化に対しツール代や連携コストが膨らみ、投資対効果(ROI)は見込めず、PoC(概念実証)で挫折する。
「従来の『人的資本経営』は個人依存に陥りやすく、優秀な人材が情報整理や社内調整といった『負の摩擦』に追われ、既存事業の維持で手一杯になりがちです。重要なのは、業務プロセスそのものをAI前提で考え、ゼロベースで再設計する『AI BPR(AI-Driven Business Process Re-engineering)』です。AIを単なるツールではなく、企業の成長を支える『資本』として捉え直し、解放されたトップ人材の知能を新規事業や未知の領域へ再配置することが、AI資本経営の本質なのです」(林氏)
[1]リクルートワークス研究所『未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる』(2023年)
「作業」をAI資本へ委ね、人間を「未知の領域」へ再配置する
林氏が提言する「AI資本経営」の核心は、全社リソースの大胆な再配分にある。従来の組織では、既存事業の維持やオペレーションという「ベースの山」を力技で支えるために多くの優秀な人材が追われ、未来を作る領域に人を割けない構造的課題があったという。
これに対しAI資本経営では、これまでエース社員が担ってきた情報整理、社内調整、報告書作成といった「事務的コスト」を徹底的にAI(デジタル資本)へ委ねる。これにより解放された優秀な人材を、新規事業の創出や顧客体験の変革、非連続な成長戦略、未知の技術探索といった「攻めと革新」の領域へシフトさせるモデルだ。
ストックマークでは、製造業を中心に、社内に蓄積された技術文書や過去の報告書、熟練者が持つノウハウ(暗黙知)をAIで資産化し、組織の知として継承・再利用するための取り組みを進めている。AIが必要な情報を横断的に探索し、専門家の思考や判断のプロセスを自律処理することで、研究開発や技術探索に携わる人材が、より本質的な検討や新たな価値創出に時間を使える状態を目指している。
「AI BPRは単なる人件費の削減や作業の効率化ではありません。AI資本が土台となって人的資本をAIが内包し、下からガッチリと支える。これにより、属人化した『脆い知』から、組織に帰属し複利で賢くなる『共有資産』へのアップデートが実現します。社員の知能を雑務から解放し、10年後の成長基盤へ解き放つための構造転換なのです」と林氏は強調する。
AI BPRがもたらす効率化の先にある「熱量KPI」
AI BPRを推進する際、最大の壁となるのは現場の心理的抵抗だ。既存の仕事を手放す不安や、AIへの不信感はトップダウンの命令だけでは突破できず、組織を疲弊させる「変革の摩擦」を生む。ここで林氏が示したのが、意外にも「シゴトの楽しさ(熱量KPI)」という指標である。
ストックマークの調査によれば、現場の働き手がAIに任せたい業務は「データの転記」や「資料探し」といった、人間の創造性を奪う単純作業に集中している。一方で「新しい企画立案」や「専門スキルの向上」には、自ら注力したいという強い意欲がある。
同氏は、この「楽しさ」を単なる主観的な満足ではなく、AIという相棒を得て困難な課題を前進させる手応え(スモールウィン)や、雑務から解放されて思考に没頭するフロー状態、すなわち「最高のインナーワークライフ(最高の仕事体験)」を指す。この「楽しさ」を単なる主観的な満足で終わらせず、財務リターンという遅行指標に先行して組織が自律的に進化しつづけるための「経営の先行指標」として管理すべきだと提言する。
「貴社の最も優秀な人材に、いまだに資料作成をさせていないか?AIで人を絞り出す効率化ではなく、AI共創で社員の挑戦を楽しくする変革エンジンを起動すること。 AI資本への投資は、人間が最もクリエイティブに輝くための『経営の決断』そのものです」と問いかけ、林氏は講演を締めくくった。
東京大学文学部宗教学科卒業。学生起業を経て伊藤忠商事に入社し、事業投資や経営管理業務に従事。2016年にストックマーク株式会社を創業し 、経産省の国産生成AI開発支援プログラムに採択され日本初の1000億パラメータLLMをリリース。350社以上が導入する製造業特化エージェント「Aconnect」などを展開するほか 、2026年3月には著書を出版し 、人手不足時代における「AI資本経営」という新たな経営スタイルを提唱する。




