個人レベルで考える「美や洗練の蓄積」がクリエイティブな発想や評価基準には不可欠
前回、新しい価値や豊かな生活を生み出す上で不可欠だと考える「生活文化力」は、以下の三つだと触れた。
- 日常生活の中で美しさや洗練を考えること
- 自身の価値観に自然な自負を持つこと
- 多種多様な主観性を推奨し許容すること
今回はその中の一つ目について書きたいと思う。ここで対象としているのは、付加価値、生活の豊かさ、デザイン思考といったキーワードを使いながら仕事をする「クリエイティブワーカー(以下クリエイティブ)」である。無論、個々の生き方は千差万別であるべきだが、そうした仕事をする上で、以下の様な考え方が必要だと考える。
自分自身に対する戒めも含めて思う。クリエイティブは、その日常生活の中で美や洗練を意識的に求めないといけない。一流料理人が高額を払って一流料理を食べ歩くように。クリエイティブだからこそ一般消費者の感覚では感じることが出来ない何かを感じて、それを蓄積していかないといけない。
では日常における美や洗練とは何か。わかりやすいところでいえば、生活環境や景観があると思う。今、先ほどまで仕事の打ち合わせをしていた、ロンドンのソーホーにある「Soho House 76 Dean Street」(※1)にそのまま居座りこれを書いている。会員制で普段は入れないが、会員の同僚にちゃっかりと便乗させてもらった。1732年にトーマスリッチモンド氏によって建てられた建築は、英国の歴史的重要建築グレート2(※2)に指定されている厳かさと温かさがある。私の頭の上にも向かいの壁にも海軍をテーマにした美しい絵画コレクションが所狭しと掛けられ、いかにも英国といった趣のファブリックがあしらわれた重厚な家具と高い天井の間を、アンティークの香りを含んだ空気がゆっくり流れる。安くない会員費はいただけないが、こうした空間が私たちの感性や心に及ぼす影響、さらにはアウトプットへの影響は計り知れないと思う。
空間同様、日々使う物に関しても同じ事が言える。わかりやすい例が和食器だと思う。和食器にも色々あり「壊れたらまた買えばいい」という寂しい器もあれば、職人が先代から引き継いだ技術や文化に加え、その作品にかかった工数や時間や思いをありがたくイメージしながら大切に使う器もある。大切に作られた和食器がなぜ美や洗練を話す例として相応しいか。それは「使ってみないと本当の良さがわからない」からだ。手に持った時の備前焼の温かさや、口元に当たった漆の柔らかさは、言葉では説明しきれない。そして何より、ご飯が何倍も美味しい。ちなみに私が大好きなお店は九段下にある「暮らしのうつわ 花田」である(※3)。(誓っていうがお店の手先ではない)
クリエイティブは情報を知っているだけでは意味がない。美や洗練が実際に日常の中にあって、それが自分の中の価値観に組み込まれて、はじめて意味があるのだ。最近、日常的に使うようになった江戸切子※4もそうで、恥ずかしい事に日常的に使い始めるまで一つのグラスを使う時の嬉しさや高揚、文化の重みを、これ程感じるようになるとは全く想像していなかった。
このように、空間にしても物にしても、自分で体感してみないと本当の価値なんてわかるわけがない。ネットで読み又聞きしても分かったふりは出来ないし、それを語れるわけがない。美や洗練に関わる体験の集積が、クリエイティブ活動の発想や評価基準として非常に重要なのだ。
■関連リンク※1:Soho House 76 Dean Street
■関連リンク※2:the Statutory List of Buildings of Special Architectural or Historic Interest
■関連リンク※3:暮らしのうつわ 花田