自社に脈々と根付く文化、外部の変化を察知し統合する能力
宇田川 元一氏(埼玉大学経済経営系大学院 准教授、以下敬称略):前編では、28歳で社長になられて経営再建に尽力されたこと、その経験から見えてきたことなどをお伺いしました。特に、自社の歴史を振り返える中で、なぜ「あんぱん」や「むしケーキ」が生まれたのかに関して、再解釈されていました。
木村 光伯氏(木村屋總本店代表取締役社長、以下敬称略):明治8年には桜の花びらの塩漬けを埋め込んだ「桜あんぱん」が生まれたのですが、それは山岡鉄舟という方に明治天皇にご推挙いただいたことがきっかけでした。山岡鉄舟さんの庵には当時のイノベーティブな人々が集まっていて、そこで見いだされた新しいものが明治天皇に献上されるという流れがありました。例えば山本海苔店の「味付海苔」も、そうやって生まれたのだそうです。
このような話からも、色々なところに出入りして情報交換をし、コラボレーションで新たな価値を作っていくというのは、時代によらず普遍的な動きなのだと気づかされますね。
宇田川:新しく見慣れないものが入ってきたときに、「自分のところの“あれ”と結びつけたら、良いものができるんじゃないか」と発想して形にするにはセンスのようなものが必要でしょう。組織の中でそのようなアンテナや発想力を養っていくために、木村さんがされていることはありますか?
木村:ここ1〜2年の間に「キムラミルク」、「キムラスタンド」といったお店を立ち上げていますが、私からコンセプトを説明しても、なかなか伝わっていかないんですよね。そういう経験から、私がやりたいことをトップダウンでやらせるのではなく、ちょこちょこと言語化しながら、未来を一緒に作っていくようなことが大事なのだと思いました。「このプロジェクトを、安心して楽しんでやっていいんだよ」というお墨付きを与えてあげて、遊び心を持てるような余白のある環境を作るべきなんだろうと。
宇田川:「キムラミルク」と「キムラスタンド」は木村さんの発案でしたか!
木村:最初は東急百貨店さんからお声がけいただいたんです。「木村屋」ですと、どうしても年配の方向けのブランドというイメージがありますが、「いつも新しい情報が入ってくる渋谷という街で展開するとしたら、木村屋さんはどんなことができますか?」という問いかけをいただきました。
そこで社内でも議論したのですが、「あんぱんのあんこを今風に変えましょう」とか、その範囲でしか発想が飛ばないんですよね。「ブランドも変えちゃっていいんじゃないの? もっと遊んじゃいましょうよ」と、思考の枠を広げてあげる必要を感じました。それで枠を広げすぎたのか、最近では私の案が「面白くない、ダメです」と言われることもあります。内心では、「いいぞ、もっとやれ」と思っています(笑)。
宇田川:いい感じですね(笑)。