変革の壁を越える。アントレプレナーシップの社内浸透
宮森:その視点の転換を、日系企業である日東電工に浸透させるのは至難の業だったと思います。
村上:本当に苦労しました。既存事業に新しい技術を足したり、新しい用途に展開したりして新需要を生み出していく「三新活動」という素晴らしい文化がありますが、それだけでは新しい成長軸は描けません。米国で得た視点の転換を経営層や社内のメンバーに伝えても、最初は「何を言っているのか」と戸惑われ、なかなか深く理解されませんでした。
宮森:そこでどうやって壁を乗り越えられたのでしょうか。
村上:私一人で声を上げても孤立してしまうので、まずは同じビジョンを持ってくれる仲間を5人ほど集めました。「自分たちができる技術から考えるのではなく、社会、市場、顧客が求めている未来からバックキャストして考えよう」と繰り返し伝えました。
宮森:地道な仲間づくりから始めたのですね。
村上:はい。同時に、百聞は一見に如かずと考え、国内の部長陣を次々と米国に呼び寄せました。「日本にいるだけで、本当に新しい発想が生まれるだろうか」と発破をかけ、現地の熱気を直接肌で感じてもらったのです。結果として、3年経つ頃には彼らが自分たちの言葉としてバックキャストの概念を語り、自発的にリーダーシップを発揮して動いてくれるようになりました。「脳が繋がった」と実感できた瞬間があり、そこから組織の熱量が変わっていったと思います。

真のグローバル経営者への分水嶺と葛藤
宮森:チームが自走し始めた矢先、会社から突然インド赴任を打診されたそうですね。
村上:はい。「今のまま日本を中心にキャリアを積む道もあるが、真のグローバルリーダーになるにはここが分水嶺だ」と告げられました。さらに「より深い信頼関係を築くには、自分の言葉で対話できる力が必要だ」とまで言われたのです。正直、これまでは通訳を介すこともありつつ、「深い信頼関係を築き、実績も出してきたのに」と猛反発する気持ちもありました。しかし、あえて厳しい言葉で自分に足りない部分を指摘し、次の成長へ背中を押してくれているのだと受け止め、迷わず新たな挑戦を選びました。
宮森:そして2025年、バンガロールでの生活が始まります。
村上:そこからが本当に過酷でした。2025年4月に外資系パートナーのオフィスへ赴任したのですが、日東電工のメンバーは私一人、日本人も私一人。英語でのコミュニケーションに加え、多様なアクセントの聞き取りにも苦労し、インド人だけの環境で「圧倒的な異国感」「見えない大きな壁」に囲まれている感覚に陥りました。
宮森:生活面でもご苦労があったとか。
村上:水や食事、虫の対策、インフラのトラブルなど、「日々のサバイバル」の連続でした。食中毒で倒れる恐怖と戦いながら、生きるための環境を整えることに必死でした。結果を出さなければという重圧を自分自身にかけすぎてしまい、心身ともにまったく余裕がなく、赴任当初の3ヵ月は文字通りどん底の状態でした。



