半世紀前にオープンイノベーションを実践。新規事業を次々と生み出す組織文化とは
中垣徹二郎氏(以下、敬称略):安井さんとは、私が新卒で入社したVC時代からのお付き合いなのですが、長らくブラザー工業で新規事業開発を手がけられています。まずは、安井さんのご経歴をお聞かせいただけますか。
安井邦博氏 (以下、敬称略):私は1995年に新卒で当社に入社しました。ちょうど入社2年目に、プライベートでシリコンバレーを訪れたことがきっかけとなり、その後しばらくしてから当社の契約先だったシリコンバレーの戦略コンサルのオフィスで、長期出張ベースでリサーチャーとして働くことになりました。シリコンバレーでの勤務は2年間ほどでしたが、その時期にVCとスタートアップのダイナミズムを体感し、将来、新規事業を立ち上げていくうえで、そのメカニズムを自社に取り込む必要性を強く感じました。
そのような想いを持って帰国し、2003年頃から複数の国内VCと接触を開始。そのなかで、中垣さんが以前勤めていたVCと出会いました。2006年に日本・アメリカ・中国向けのスタートアップ投資ファンド(コーポレート・ベンチャーキャピタル)を共同設立し、十数億円規模のファンドを立ち上げ、今まで17年間、オープンイノベーションの責任者を務めています。並行して新規事業の部門でプロジェクトリーダーとして新製品の上市を進めてきましたが、2016年から部門長として新規事業の立ち上げを推進しています。
中垣:2006年のファンド設立のことはよく覚えています。当時は、まだオープンイノベーションという言葉がほとんど知られておらず、日本の大企業とVCやスタートアップが交わるのも稀な時期でした。そうしたなかで、安井さんらブラザー工業の皆さんは、非常に謙虚かつ前向きに私たちの話を聞いてくれました。私は直接の担当ではありませんでしたが、月並みですが「すごくいい会社なのだろうな」と思ったのを覚えています。
安井:実は、当社はオープンイノベーションの先駆け的な会社だといえると思います。
そもそも当社は1908年にミシンの修理業からスタートし、その後、家庭用・工業用のミシンメーカーになりました。創業から50年間ほどはミシン専業の時代が続きましたが、1950年代中頃に事業を多角化。ミシンのモーターを応用し、家電製品の製造に進出したほか、1971年にはアメリカのセントロニクス社というスタートアップと高速ドットプリンタを共同開発。現在に至るプリンティング事業の礎を築きました。
その後も、電気通信事業会社と連携して通信ネットワークを構築した上で、1986年にソフト自販機TAKERUの販売を開始し、そのネットワーク技術やビジネスモデルを応用して、1992年には通信カラオケの「JOYSOUND」の製造・販売を開始しています。これもオープンイノベーションによる成果と捉えています。こうして振り返ってみても、1970年代以降、当社は外部の技術を取り入れながら新規事業を立ち上げており、オープンイノベーションが古くから根づいている会社であるといえると思います。