多様なポートフォリオを持つ荏原製作所が挑む「ROIC経営」
1912年(大正元年)に東京大学の井口在屋教授が発明した「ゐのくち式渦巻ポンプ」を社会実装するための「大学発ベンチャー」として創業した株式会社荏原製作所。110年を超える歴史の中で、同社は技術と知財を極めて大切にしながら事業を拡大してきた。
現在の同社は、極めて多岐にわたる事業ポートフォリオを持つ、髙栁氏の言葉を借りれば「マルチな企業」である。展開する事業は、半導体製造工程向けのCMP装置やドライ真空ポンプを扱う「精密・電子」、石油・ガスや新エネルギー向けの「エネルギー」、ビルや産業設備向けの「建築・産業」、大型排水ポンプなどの「インフラ」、そして都市ごみ焼却炉や水処理プラントのEPCからオペレーション&メンテナンス(O&M)までを担う「環境」という、大きく5つの対面市場別組織(カンパニー)で構成されている。
2025年12月期の業績を見ると、連結売上収益9,582億円のうち、精密・電子が36%、建築・産業が25%、エネルギーが23%を占めるなど、特定の事業に過度に依存しない、多様な業態が同居していることがわかる。
同社は2035年に向けた長期ビジョン「E-Vision2035」において、持続可能な社会の実現に欠かせない企業として「グローバルエクセレントカンパニー」を目指すことを表明。
それに伴う中期経営計画「E-Plan2028」では、最重要経営指標としてROIC(投下資本利益率)を掲げている。基本方針の核となるのは、「全体最適を実現するグループ経営基盤の拡充」と「事業セグメントの特性に合わせた戦略の実行」の両立だ。一見すると矛盾するようにも思えるこの「全体最適」と「個別最適」のパズルを解く鍵こそが、知財部門が独自に開発した管理会計的アプローチにあった。
特許権の大量放棄という悔しさから生まれた「知財ROIC」の挑戦
なぜ、知財部門がROICという財務的な経営指標にコミットしなければならなかったのか。髙栁氏は、2010年前後のリーマンショックを含む経済危機まで時計の針を戻し、知財部門が直面した「苦い経験」を明かした。当時、会社経営の立て直しを最優先する中で、開発投資が削減されて新規出願が落ち込んだだけでなく、知財部員が一生懸命に取得してきた大量の特許権を一斉に放棄せざるを得ない事態に直面したという。
「当時は、我々が一生懸命に取った権利であっても、経営危機になれば、事業存続のために仕方が無いとは言え、これほど簡単に捨てられてしまうのかという、非常に悔しい思いをしました。そこから、『知的財産はどのように会社経営に貢献しているのか』という本質的な議論がスタートしたのです」(髙栁氏)
質の高い特許ポートフォリオを、できるだけ少ない人員と費用で経営に提供し、それを経営陣に納得してもらうにはどうすればいいか。知財部門がその答えを模索していた時期、全社でROICが最重要経営指標として導入され、社内各部署への啓もうや、部門別では「生産革新ROIC」といった具体的活動が活発化していった。さらに、コーポレートガバナンス・コードの改訂という外部環境の変化も追い風となった。
「社内全体にROIC経営の思想が徹底的に叩き込まれていました。それならば、知財活動もROICのロジックで語るべきだ、という結論に至ったのです。知財活動を経営に理解してもらい、その効率化を証明するための部内ボトムアップ活動として『知財ROIC』がスタートしました」(髙栁氏)
