なぜパラダイスは来ないのか? 人間が抱える「死の欲動」
希望的には、この「楽土」の到来を期待するが、課題の存在しない桃源郷がAIの普及によって到来するはずもない。どんなに技術が発展し、社会保障制度などが充実しても、世の中には不幸を好む人がいる。
技術革新の原動力は「愛情」である。しかしながら、その「愛情」を素直に「表現できない・受け入れられない」人々も多い。人間は技術だけで生きているわけではない。技術革新だけでは理想の「楽土」は来ない。特に、精神的な人間の内面、心の知性から逃れることはできないのだ。
ジークムント・フロイトは『快感原則の彼岸』において、「死の欲動」というコンセプトを提起した。「人間は一般に快を求め、不快を避ける」という前提を覆し、不快きわまりないとわかっていることへと敢えて向かう執拗な傾向を発見したのだ。
不幸や悲惨さを自ら選び取っているとしか思えないような生き方をしている人々。つまり「日常のごくささいな死の欲動」を想定しない限りは、理性だとか学習能力、自己防衛本能や種族保存の本能が機能しない理由を説明し難い行動を示す人間は決して珍しくなく、それどころか自分自身すらそうした人間の仲間ではないかと疑いたくなることがある。
(出典:春日武彦著『不幸になりたがる人たち 自虐指向と破滅願望』(文藝春秋))
イランやウクライナでの戦争を前にして、この21世紀のAI時代になってもまだ、人間は戦争をやめられないのか? とよく思う。しかし、『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス』の中で、フロイトは「人間の攻撃的な傾向を廃絶しようとしても、それを実現できる見込みはない」と断じている。死の欲動が外部に向けられるときには破壊欲動となる。
自らに向けられた自虐的な破滅願望も他者への支配的な破壊欲動も、おそらくは、人間の本能の一部である。歴史の始原から今日まで終わることのない人間の性だ。だからパラダイスは来ないのだ。
他人を変えることはできないし独裁者を止めることはできないが、AIによって圧倒的に生産性を上げることはできる。社会的に「奴隷」のような働き方をなくすこともきっとできる。
