何をやめるかではなく、何に集中するか。5つのプロジェクト開発一括中止の舞台裏
池側:多額の投資と長い時間を積み重ねてきた研究開発において「止める決断」ほど難しいものはありません。2025年7月に、早期臨床開発段階にある5つのプロジェクトの開発を一括中止されました。この意思決定にファイナンスはどう関与し、どのような撤退基準があったのでしょうか。
滑川:当社ではサイエンスを何よりも重視しています。一方で、経営資源は無限ではありません。FP&Aの役割は、個々のプロジェクトを見るのではなく、全社ポートフォリオを俯瞰し、限られた経営資源をどこに配分することが最も大きな価値創出につながるのかを経営とともに考えることです。
今回の意思決定では、FP&AとR&D FNBPが関係部署を巻き込みながら、早期開発ポートフォリオ全体の見直しを行いました。重要だったのは、個別のプロジェクトの可否を議論することではなく、すべての早期開発プロジェクトを同じテーブルに並べ、同じ評価軸で比較・評価したことです。各プロジェクトの開発状況や開発期間、蓄積されたデータに加え、ポートフォリオ全体のバランスや人財・資金といった経営資源の制約も踏まえながら、複数のシナリオを検討し、それぞれが将来価値や資本効率に与える影響を可視化しました。
その結果、5つのプロジェクトを中止するという難しい意思決定が行われました。しかし、それは単なる撤退ではありません。より高い成功確率やインパクトが期待できるプロジェクトへ経営資源を再配分し、研究開発全体の価値創出を最大化するための決断でした。私は、この意思決定の本質は「何をやめるか」ではなく、「何に集中するか」にあったと考えています。FP&Aの役割は、全体最適の視点から選択肢を提示し、経営がより良い資源配分を判断できる状態をつくることです。今回の事例は、その価値を象徴する意思決定だったと思います。

谷口:医薬品ビジネスで最も致命的なのは、「開発の後期段階(レイトステージ)」での失敗です。フェーズが進むほど治験規模が拡大し、数百億規模のサンクコスト(埋没費用)が発生します。だからこそ、リスクが比較的低い早期段階で見極め、必要に応じて撤退を判断することが重要になる。しかし、それは簡単なことではない。現場の熱量を知るFP&AとFNBPという橋渡し役がいたからこそ、この痛みを伴う構造改革をやり切ることができました。
足の長いR&Dの進捗における、NPV分析と生産設備投資の連動
池側:利益やリターンの予測が見えにくい状況での、R&D投資の具体的なアプローチについて教えてください。
板倉:当社では、毎年、向こう10年間のビジネスプランを構築しています。私たちは、その活動の中で戦略実現に必要なコストを予測するために、開発品のフェーズごとのR&DコストやFTE(必要人員工数)を精緻に積み上げ、過去の経験則から導き出した「成功確率」や、実行中の戦術の期待効果などを掛け合わせるなどして数字を作っています。これと、売り上げ予測とを比較することで、投資に向けた課題を抽出し、その課題の解決を現場と共に行うのがFNBPの重要な役割になります。
また、プロジェクトのNPV(正味現在価値)を算出してポートフォリオ価値の分析を行うことで投資の優先度の議論が数字に基づいて行えるようにしています。開発品の担当者は自分のプロジェクトをとにかく、早く進め、患者さんにその価値を届けたいと邁進してくれています。我々はその個々の活動に横串を入れて評価しながら、1つでも多くの革新的新薬を、1日も早く患者さんに届けるためにどうあるべきかを考えています。R&D投資額を増やすことを求める声もありますが、内部留保などを使った一過性の投資では継続的に新薬を世に出し続けることは難しくなってしまいます。将来にわたる収益状況を理解しながら、投資を判断していくことが重要と考えています。
加えて、難しいのが、R&Dの進捗と「生産設備投資」のタイミングを連動させることです。医薬品の製造ラインや原薬製造棟を建設する場合、ローンチ(上市)から逆算して「5年前」には何十億、何百億という投資を判断しなければ間に合いません。つまり、その化合物が本当に人に効くかわからない不確実な段階で、莫大な固定資産を抱えるリスクを取る必要があります。開発が失敗すれば、キャパシティが空いて減価償却費だけが重くのしかかる「負の遺産」になってしまいます。

滑川:そこで私たちは、R&D FNBPや生産FNBPと継続的に対話しながら、ビジネスプランで置いている前提条件やモデルの妥当性を毎年議論しています。開発タイムラインや成功確率、生産能力の想定などを定期的に見直し、最新の情報を計画に反映させています。
FP&Aの役割は将来を正確に予測することではありません。不確実性の高い環境においても、経営陣や関係部門が同じ前提に基づいて議論し、意思決定できる状態を作ることだと考えています。
