喪失した「自社の本来の姿」の見つけ方
栗原:KPIを設定した当時の状況が変わらないのなら、それを追求していけばよいのかもしれません。でも、経営環境が常に変化する中でKPI以外を見ないのはリスキーですね。
宇田川:そうです。経営というのは樹木のようなもので、途中でいくつもの枝が生え、そこから葉が出て、その葉の中にも葉脈があって……というふうに、どんどん分岐していきます。分岐した先だけを見ていると、統合された全体像が見えなくなってしまう。それを避けるには、分岐の前まで戻って「本当は何がしたかったのか」をもう一度探ってみることは意味があると思っています。
これは「目的を見失うな」という話とも少し違います。目的というのはあくまでロジックの連鎖でしかありません。見るべきは歴史で、過去にどんな風景を見て、それに対してどんな感情が沸き起こり、どう応答したのか。そういった数字では表せないようなものを手がかりに、もう一度、自分たちの取り組みの再構築を図っていこうというのが喪失した経営への対処です。その上で経営を再構築していけば、間違った企業変革にはならないでしょう。
栗原:過去を丁寧に振り返ることで、自分たちらしさが見えてくるということでしょうか。
宇田川:厳密に言えば、過去の応答の中に「経営の再構築の材料」を見出していこうということです。
「本当は何をしている会社なのか」を理解するには、「顧客に届いているものの全体」から「商品・サービス」を引いたときに残るものが何かを考えてみる。そうすると「経営の再構築の材料」が浮かび上がってきます。
同じような商品やサービスを提供しているお店でも、そこで得られる体験や心地よさが全く違ったりするでしょう。同じDXへの取り組みでも、顧客への対応をコストと捉えて切り詰めるのか、顧客に人間的に接するために、それ以外を効率化しようとするのかで、まったく異なるわけです。その違いの根源には、先ほどお話した「B面」があるはずです。

ジャパネットに学ぶ「ケアとしての経営」
栗原:「B面」が本質的な差異を生むということを、よく示す事例があれば教えてください。
宇田川:たとえばジャパネットが挙げられると思います。同社の成功を戦略論の権威であるリチャード・P・ルメルト的に理解するならば、資本力のない会社が低価格競争を避けるためにいかに比較されない状況を作るか、その手段として中高年層向けに特化したメディアを作って商品の魅力を伝えたという「A面」で説明できるかもしれません。
この説明は間違ってはいません。しかし、大事なのは「なぜそうしたか」であり、その理由は「B面」にあると私は見ています。そこには、創業者の髙田明さんが写真館を経営し、お客さんたちの声や、声なき声に接してきたという経験があるのではないでしょうか。そうした見てきた風景への応答が、ジャパネットの売り方に現れているように思うのです。
髙田さんは商品をモノとして見ず、それが「何のためにあり、何を生み出すか」を大切にしたとインタビュー記事[1]の中で仰っていました。カメラを売る際には、スペックではなく「お子さんの写真を撮る際には、ご両親も入ってくださいね」と伝えてきたそうです。「お子さんが大人になったとき、どんな写真が残っていたら感動するかを考えていた」というのです。
髙田さんは事業を作られる中できっと苦悩されたことでしょう。しかし、その苦悩の中で、お客さんの世界に分け入って、彼らの側から商品がどう見えるかを探り続けられたのではないかと私は思うのです。別な言い方をするならば、顧客という存在に「ケア」を試みられてきたと言うことができます。これは人間にしかできないことであり、経営の根幹を形成するものです。
「B面」を通して生まれた事業を上手く続けていくために精緻化し、「A面」化していくことは必要なことです。しかし、そうやって制度化されたものを疑わなくなってしまうと、いろいろなものを見落とすようになります。制度化された中にも一歩分け入って、まだ応じられていないカオスを見出し、その都度、人々や社会に対して応答していく、その生成のダイナミズムを作っていくということが、本来の経営において大事な点だと思います。
[1]髙田明「企業は人を幸せにするために存在する」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(2025年12月号)
