構造的無能化により起こる「深刻な断片化」とは
栗原:「A面」だけで進める変革は他社の成功事例をなぞるにすぎず、本来の意味の経営たり得ない、ということですか。
宇田川:そうです。新たにトップになった経営者の大改革により、短期的な数字は改善したものの、同時に企業の独自性を失っていき、何年か経つとダメになってしまう──そういうことが、誰もが知る大企業でも起きていますよね。
どうしたら変革は進むのかということを書いた『企業変革のジレンマ』(日本経済新聞出版)を出版した後、変革はしたものの経営が喪失されてしまう事例があまりにも多いことが気になったんです。そのようなことがなぜ起きるのか。私なりに分析し、「経営の喪失のメカニズム」を今考えているところです。
栗原:それは興味深い。『企業変革のジレンマ』の中心的テーマであった「構造的無能化」と、今おっしゃった「経営の喪失」はどのような関係にあるのでしょうか?
宇田川:構造的無能化を通じて失われていくものに注目したのです。『企業変革のジレンマ』で提示した「構造的無能化」とは、次のようなプロセスです。
まず、企業が環境適応していく中で業務が「断片化」し、思考の幅が狭まって組織の壁が厚くなることで、組織が「不全化」していきます。しかし、それに対する問題解決が表面的なものに留まる「表層化」に陥るため、結果として変革が進まなくなってしまうのです。
これはあくまで変革に注目したメカニズムでしたが、「業務の断片化」が起きているときには、同時に「企業の実存的な問いも断片化」しているんですよね。つまり、過去の応答の積み重ねであるB面は、形式的な合理性の中で切り刻まれてしまう。そうすると「何のための変革なのか」も見えなくなる。自分たちは何のために一生懸命働くのか、意味を実感できないまま、記号化された成果のために変革をすることになっていくわけです。
つまり、経営の喪失とは、経営のB面の喪失のことなのです。それ故、経営のB面を再構築しなければ変革もうまくいかないし、空虚なものになってしまうのではないかと考え、経営の喪失に注目しました。だから、「構造的無能化」と同時に生じるのが「経営の喪失」のメカニズムだと言えるでしょう。
「構造的無能化」が経営を喪失させるメカニズム
栗原:「経営の喪失」のメカニズムについて詳しく教えてください。
宇田川:「断片化」が起きて、その企業に固有の問いというものが失われると、顧客にどうあって欲しいかという問いは顧客満足度に、一緒に働く仲間と仕事をする喜びは説明可能な人的資本の指数に、地域社会にどう貢献できるのかという問いは株主価値へと還元されてしまいます。ただKPIを追い、相手を人間ではなく記号として捉えるようになってしまう。これが「記号化」です。本来は、これらの記号は、何が起きているのかの兆候を知るために重要なものです。でも、それが答えのように機能してしまうのです。
「記号化」が進めば、KPIに関係のないことに目が向かなくなり、違和感に気づきにくくなっていきます。余計なことは考えないから確実性が高まり、短期的には計画達成に成功する。そうすると、さらにそれを追求しようと記号の「精緻化」が進んでいきます。するとますます「断片化」が強化され、余計に生身の他者という存在が見えなくなっていくんです。
一見すると経営がうまく行っているように見える。しかし、渡される目標に対処することが仕事になり、お客さんにどうなってもらいたいのか、自分たちは何がしたいのかを考える必要がなくなる。そして、いつか経営層も含めてそうなっていくのが、「経営の喪失」のメカニズムです。
